大伽耶・新羅の旅

金海市  首露王妃陵

慶尚南道金海市山洞

陵碑には、

「賀洛国首露王妃 普州太后許氏陵」 と刻される。

王妃はインド・アユタ国の公主とされ、名を許黄王といい、189年3月1日157歳で亡くなったという。

許王妃は生前10人の子どもを授かり、太子である長男は王位を継承し、第二代居登王になる。次男は母の姓の許を継いで金海許氏の始祖となる。

それから以後韓国では、現代になっても、金海金氏と許氏は結婚しない風習が残るという。

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墳丘のそばに「婆娑石塔」が立つ。

婆娑石塔

金海市中心部にあった虎渓寺からここに移設されたと伝わる。

西暦48年に、王妃がインドから渡来したとき、風と波を静めるために船に載せてきたものという。

この婆娑石は韓国では産しない石だそうだ。

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韓国の旅

金海市 首露王妃陵

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