大伽耶・新羅の旅
慶州市 石窟庵
慶尚北道 慶州市進硯洞
吐含山の山頂に石窟庵はある。名前は石窟だが、洞窟を掘ったものではなく、花崗岩を積み上げて石のドームをつくり石窟寺院のようにしたもの。
8世紀の新羅人の技術力の高さを感じさせる。
景徳王十年(751)、当時の宰相金大城によって創建され、当時は石仏寺と呼ばれた。
新羅が滅亡しても大切に保存されてきたが、20世紀初め日本人によって大改修されてしまった。
石窟をことごとく解体した後間違って組み立ててしまい、本来の位置や構造が分からなくなってしまった。しかも石窟上部をセメントで固め覆うという愚行までも。
本来、太陽光で仏像を浮びあがらせる構造であったが、今は電気の光で浮びあがらせている。・・・・・
見事な造形の鐘楼である。
日本の釣鐘と大きく違うところ、下の写真を見て。
釣鐘が地表すれすれに釣られている。鐘のつき方がぜんぜん違う。
日本では、鐘を見上げるようにしてつくが、慶州では、どうやらこの位置だと、膝の高さでつくことになる。
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韓国からの留学生を、日本の寺に案内したことがある。
その寺の鐘声を聞いた留学生は、ふたりとも「いい音色ですね、デーン!」という。
ゴーンではなく、韓国の鐘はデーンだという。日本の鐘は「ゴーン」と鳴ると私、お互いぜったい譲らずのまま。
この石窟庵の鐘を見て、ふと思った。
韓国の鐘は地表すれすれだから、鐘の中だけで共鳴していて、デ〜ン!
日本の鐘は、鐘の下部から音色がもれ広がって、周囲にさらに共鳴して、ゴ〜ン!
中央奥に本尊仏が坐す。真っ白な花崗岩を削りだしたもの、見事な仏像である。写真は厳禁、資料から借りる。
庵の前から遠く日本海が見える。日本海と思っているのは私たちで、ここでは東海という。
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慶州市 石窟庵