大雀命(大鷦鷯天皇) 仁徳天皇

武内宿禰

奈良・鳥取

武内宿禰は、

景行天皇、成務天皇、仲哀天皇、(神功皇后)、応神天皇、仁徳天皇に仕えた大臣。

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『古事記』には、

大倭根子日子国玖琉命、又内色許男命の女、伊迦賀色許売命を娶して、生みませる御子、比古布都押之信命。

比古布都押之信命、山下影日売を娶して、生める子、建内宿禰。

★孝元天皇の皇子、比古布都押之信命の子が建内宿禰(武内宿禰)と記されている。

『日本書紀』には、

「孝元紀」に、妃伊香色謎命、彦太忍信命を生む。彦太忍信命は、是武内宿禰の祖父なり。

★孝元天皇の皇子、彦太忍信命の孫が武内宿禰とあり、

「景行紀」に、屋主忍男武雄心命、則ち紀直が遠祖菟道彦が女影媛を娶りて、武内宿禰を生ましむ。

★屋主忍男武雄心命の子が武内宿禰である。

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ややこしい。メモに系譜を書かないと理解できない。ついでに、もっとややこしくすると、

孝元天皇の奥さん(妃)の伊香色謎命は義理の息子の開化天皇の奥さん(皇后)でもある。子が崇神天皇である。

義母は妻で、伯父は義兄で、私がおじいちゃんと呼ぶと、隣の兄がお父さんと呼ぶし、

家族が一同に揃ったときは、母だけはしっかり分るけど、あとはみんなとどんな関係なのか分らない。

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武内宿禰に戻るが、

5代の天皇、神功皇后を入れると6代に仕え、この人何歳なんやと不思議に思うが、成務天皇と誕生日がいっしょで、

亡くなるときは、280歳から360歳までいろんな説がある。

みんなお世話になったんや。

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奈良県御所市室に、室八幡神社があり、その裏山の宮山古墳が武内宿禰の墳墓という伝承がある。

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『因幡国風土記』に、

因幡の國の風土記に云はく、難波の高津の宮(仁徳天皇)に天下を治しめしし五十五年春三月、大臣武内宿禰、御歳三百六十餘歳にして、當國に御下向あり。龜金に双の履を残して、御陰所知れず。(蓋し聞く、因幡の國法美の郡の宇倍山の麓に神の社あり。宇倍の神の社と曰ふ。是は武内宿禰の靈なり。昔、武内宿禰、東の夷を平げて、宇倍山に入りし後、終る所を知らずといふ。)

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鳥取市国府町宮下に、宇倍神社がある。

社伝に、

武内宿禰命は、第十二代景行天皇より、成務天皇・仲哀天皇・応神天皇・仁徳天皇の五朝に仕え、

天皇の信任篤く、わが身を投げうって東奔西走、日本の統一に尽力された。

命はまた進んだ大陸文化を導入されて、古代大和朝廷の最盛期を築き上げられた。

特に仲哀天皇・神功皇后を補佐して北九州に出陣され活躍された。

さらに、社伝は、

仁徳天皇五十五年春三月、この亀金の岡に双履を遺し、齢三百六十余年にてお隠れになったと記されている。

古くから本殿の後丘にその霊跡と伝える石があり、双履石と呼ばれている。

明治時代の皇国史観のもと、武内宿禰は忠臣の模範のように扱われ、

武内宿禰と宇倍神社の社殿が図柄となった紙幣が発行された。

五圓兌換紙幣

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