伊久米伊理毘古伊佐知命(活目入彦五十狭茅天皇) 垂仁天皇

倭姫命

滋賀県

天照大神を倭姫命に託す 近江国編

『日本書紀』に、

二十五年三月の丁亥の朔丙申に、天照大神を豊耜入姫命より離ちまつりて、倭姫命に託けたまふ。爰に倭姫命、大神を鎮め坐させむ處を求めて、菟田の筱幡に詣る。更に還りて近江国に入りて、東美濃を廻りて、伊勢国に到る。時に天照大神、倭姫命に誨へて曰はく、「是の神風の伊勢国は、常世の浪の重浪帰する国なり。傍国の可怜し国なり。是の国に居らむと欲ふ」とのたまふ。故、大神の教の隨に、其の祠を伊勢国に立てたまふ。因りて斎宮を五十鈴の川上に興つ。是を磯宮と謂ふ。則ち天照大神の始めて天より降ります處なり。

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『日本書紀』は以上を述べるに留まるが、滋賀県にはあちこちに倭姫命の巡歴の故地がある。

この故地は、鎌倉時代に成立した伊勢神道の教理書の一つ『倭姫命世記』によるものであろうから、

『記紀』の故地とは云いがたいかもしれないが。

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「甲可日雲宮」

垂仁天皇四年、倭姫命が天照大神の御杖代として、伊賀国より淡海国甲賀の日雲宮に遷り四年奉斎した。

甲可日雲宮 滋賀県甲賀市土山町頓宮

隣接して、

垂水斎王頓宮跡 滋賀県甲賀市土山町頓宮

史跡の説明には、

「平安時代の初期から鎌倉時代の中期までの約三百八十年間、

三十一人の斎王が伊勢参行の途上に宿泊された頓宮が建てられていたところ」とある。

平安時代以降の斎王は、京都から伊勢の斎宮まで五泊六日の道程であった。その五泊の宿泊場所が頓宮である。

近江国では、勢多、甲賀、垂水、伊勢国では、鈴鹿、一志が頓宮地である。上の頓宮跡は、その内の垂水の地である。

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日雲神社 滋賀県甲賀市信楽町牧

神社由緒に、倭姫命が天照大神を奉斎し、甲可日雲宮に滞在した、その宮が当社の起源といわれている。

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高宮神社 滋賀県甲賀市信楽町多羅尾

神社由緒に、垂仁天皇四年、四年間、倭姫命皇大神宮を信楽日雲里・多羅尾村高宮に奉斎するとあり、日雲の宮跡に火産霊神を祀る。

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田村神社 滋賀県甲賀市土山町北土山

神社由緒に、倭姫命、天照大神を奉じ甲可日雲宮に祀った。郷人その功を追慕し姫を奉祀し高座大明神と称した。

後、嵯峨天皇の勅により坂上田村麻呂を祀り、田村大明神と称した。

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小田神社 滋賀県近江八幡市小田町

神社由緒に、往古倭姫命里内巡行の時、里人に農業開田のことを教えたとして、その神徳に報いるため創立された社と伝わる。

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羽田神社 滋賀県東近江市上羽田町

神社由緒に、倭姫命が甲可日雲宮より坂田宮に御幸のときの行宮である。

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「坂田宮」

垂仁天皇八年、倭姫命は天照大神の御杖代として、淡海国甲賀の日雲宮より坂田宮に遷り二年奉斎した。

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坂田神明宮 滋賀県米原市宇賀野

神社由緒に、垂仁天皇八年の代、天照大神を甲可日雲宮より此地に二年間奉斎し、分霊の旧地として、古より坂田宮と称した。

また、鎮座の地を求めた倭姫命の神徳を偲び、命を祀ったのが坂田神明宮の起源である。

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神明神社 滋賀県長浜市朝日町

神社由緒に、倭姫命が天照大神を奉斎した坂田宮の跡といわれる。

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小江神社 滋賀県長浜市湖北町尾上

神社由緒に、垂仁天皇の皇女倭姫命勅命を受け、野洲郡江頭の地を舟出し当地に上陸、当社で休息をした。その時里人踊りを奉納し心慰めた。

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千福神社 滋賀県米原市高番

神社由緒に、垂仁天皇八年、倭姫命が甲賀郡日雲宮より坂田宮に御幸の時、暫く此地に留った故地。

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石部神社 滋賀県愛知郡愛荘町沓掛

神社由緒に、垂仁天皇の代に、天照大神が倭笠縫邑より度会邑に遷る途中、当社に半年奉斎したことにより元伊勢之石部之宮と称す。

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櫟原神社 滋賀県高島市今津町桂

神社由緒に、垂仁天皇二十五年倭姫命が、天照大神を伊勢に遷されたとき、この地に逗留し、膳を供えた縁により、垂仁三十年天照大神を祀る。

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