名児の山

福岡県福津市勝浦

冬の十一月に、大伴坂上郎女、帥の家を発ちて道に上り、筑前の国の宗像の郡の名児の山を越ゆる時に作る歌

大汝 少彦名の 神こそば 名付けそめけめ 名のみを 名児山と負ひて 我が恋の 千重の一重も 慰めなくに  巻6−963

名児の山

この歌は、大伴旅人の異母妹である坂上郎女が、旅人の妻の没後、大宰府に下っていたが、

旅人の大納言遷任にともない、一足先に帰京したときの歌とされる。

大宰府から帰京の道はいくつかあっただろうが、この地を通っているのは、宗像大社に参拝でもしたかと想像する。

宗像大社はこの名児山の向こう側にある。

写真は北側・福津市からの名児山。
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万葉歌碑は福津市勝浦のナチゴ山西麓、現在「あんずの里」と云われるところ。


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同歌の万葉歌碑が宗像大社にある。(宗像市田島)

この歌碑には次の歌も刻されている。

ちはやぶる 鐘の岬を 過ぎぬとも 我れは忘れじ 志賀の皇神  巻7−1230

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