明石の門 兵庫県明石市・淡路市 柿本朝臣人麻呂が羈旅の歌 燈火の 明石大門に 入らむ日や 漕ぎ別れなむ 家のあたり見ず 巻3−254 天離る 鄙の長道ゆ 恋ひ来れば 明石の門より 大和島見ゆ 巻3−255 明石と淡路島との間にある明石海峡、「明石の門」あるいは「明石大門」と詠まれる。 約4`の海峡で潮流早く、九州に向うあるいはその帰路、万葉の旅人には脅威の船旅であったようだ。 それ以上に、西に向う旅人にとってはここ明石の門を越えれば大和が姿を消し、いよいよ離郷の思いを味わったであろうし、 帰路の旅人はようやく家族に会えるといった望郷の念にかられたことであろう。 仲哀天皇・斉明天皇は片道切符しかもらえなかった。 大海人皇子の妻、大田皇女は帰路には二人の子どもを抱いていた、大伯皇女と大津皇子である。 多くの防人がこの海峡を過ぎていった。 鬼室集斯ら百済から多くの渡来者がやってきた。打ちひしがれた遣新羅使人が還って来た。 ・・・ 明石の門は見ていた。 現在、柿本人麻呂が見れば気絶しそうな大きな明石大橋が架かる。 ・・・・・ 万葉歌碑 神戸市垂水区平磯 平磯公園 燈火の 明石大門に 入らむ日や 漕ぎ別れなむ 家のあたり見ず 巻3−254 留火之 明大門尓 入日哉 榜将別 家當不見
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