斎宮

三重県多紀郡明和町斎宮

斎宮の森

斎宮跡

明和町斎宮には、天皇に代り伊勢神宮の天照大神に仕えた斎王の住む斎宮跡がある。

天武二年(674)、壬申の乱の後、天武天皇は勝利を祈願した天照大神に感謝し、

大伯皇女を神に仕える御杖代として伊勢神宮に遣わした。斎王制度の始まりという。

斎王は未婚の皇族女性が選ばれるが、大伯皇女は14歳で遣わされ13年にわたって仕えた。

以後、660年以上にわたって続き、60人以上の斎王が存在する。

卜定という占いで選ばれ、斎王群行と呼ばれる五泊六日の旅を経て伊勢に赴いた。

その任が解かれるのは、主に天皇が代ったときのみ、

年に三度伊勢神宮の赴く以外は一年のほとんどを斎宮で過ごし、神々を祀る日々を送っていた。

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大伯皇女は、突然の大津皇子謀反による死去でこの斎王の任を解かれたと思われる。

大伯皇女のその後は正史は語らない。

謀反の罪で死罪となった大津皇子が、禁忌を侵してその半月ほど前に伊勢神宮の姉大伯皇女を訪ねている。

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大津皇子、竊かに伊勢の神宮に下りて、上り来る時に、大伯皇女の作らす歌二首

我が背子を 大和へ遣ると さ夜更けて 暁露に 我が立ち濡れし  巻2−105

ふたり行けど 行き過ぎかたき 秋山を いかにか君が ひとり越ゆらむ  巻2−106

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史跡公園斎王の森に、万葉歌碑が立つ。

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