哭沢の神社 畝尾都多本神社 奈良県橿原市木之本町 哭沢の 神社に御瓶据ゑ 祈れども 我が大君は 高日知らしぬ 巻2−202 右の一首は、類聚歌林には「檜隈女王、哭沢の神社を怨むる歌なり」といふ。 日本紀を案ふるに、曰はく、「十年丙申の秋の七月辛丑の朔の庚戌に、後皇子尊薨ず」といふ。 『古事記』に伊邪那美神は、火の神を生みしによりて、遂に神避りましき。 かれここに、伊邪那岐命詔りたまはく、 「愛しき我が汝妹の命を、子の一つ木に易へむと謂へや」とのりたまひて、 すなはち御枕方に匍匐ひ、御足方に匍匐ひて哭きし時に、御涙に成りし神は、 香山の畝尾の木の本に坐す、名は泣沢女神。 ・・・・・畝尾都多本神社 香具山の西、畝尾の木之本町泣沢の杜に鎮座、と古事記そのままの鎮座地である。 祭神はもちろん泣沢女神。 この神の性格は不明であるが、泣女は喪主に代わって泣き悲しむものをいう。 伊邪那美命が亡くなった時に成った神であり、人の死を悼むときの神であろう。 万葉集のこの歌に詠まれていることから命乞いの神とみる説もある。 泣沢の杜の中央にあるが、神殿がなく、玉垣で囲んだ空井戸が神体のような形をとる。 ・・・持統天皇10年(696)、高市皇子の殯宮の時、 檜隈女王がこの神に命乞いをしたけれども皇子は戻らないと怨みを詠う。 境内に万葉歌碑がある。 |
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