蒲生野

滋賀県東近江市

天皇、蒲生野に遊猟したまふ時に、額田王が作る歌

あかねさす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る  巻1−20

皇太子の答へたまふ御歌

紫草の にほへる妹を 憎くあらば 人妻ゆゑに 我れ恋ひめやも  巻1−21

紀には「天皇の七年丁卯の夏の五月の五日に、蒲生野に縦猟す。時に大皇弟・諸王、内臣また群臣、皆悉に従なり」といふ。

左註にあるように、天智七年(668)五月五日、ここ蒲生野で薬猟が盛大に行われた。

「大海人皇子、諸王、内臣、群臣、皆悉く従なり」とある。

天智天皇が主催者で、傍には藤原鎌足もいる。

もちろん額田王も参加し、大海人皇子との間でこの相聞らしき歌が交された。

薬猟とは、鹿茸(鹿の角袋)や薬草を採る宮廷の行楽的行事である。

大海人皇子や諸王は馬に乗り鹿を追い、額田王は薬草を摘んでいた。雰囲気は今風にいえば、リクリェーションのようなもの。

その時に詠まれた相聞風の歌だからそんなに真剣に受けとめなくてもと思う。

これが原因で壬申の乱を招いたはちょっと深刻すぎる。宴歌として皆の前で披露されたものだろう。

・・・

今の我々の時代の夫婦観で見てしまうから、

別れた元妻に声掛けてみたら、元妻もまんざらでもなさそうに、今の主人が見てたらどうしますの、って歌を贈ってきた。

人妻になったお前にやっぱ未練あるなぁ、ほんまにええ女房やった、もう一回やり直さへんか。

というようにこの歌を解釈してしまうと、もう泥沼。天智は怒るし、鎌足は仲裁に入っておろおろするし。

当時はもっとおおらかですよ。鎌足だって鏡王女を譲り受けたり、安見児をいただいたり。

当の大海人だって天智の娘?野皇女(持統天皇)ももらっている。

しかも、額田王はこの頃はすでに35、6歳という。もう甘いも酸っぱいも辛いも何もかも知った熟女ですよ。

天智も妬かない。

万葉集の編集者は「相聞」ではなく「雑歌」に分類した。

・・・

でも私は地元ということもあってこの歌好きなんですよ。

好きな女性に手を振ったり、人が見てたらどうするのってちょっと顔を赤らめたり・・・ええやんか、やっぱりこんな雰囲気は。

蒲生野どまん中から北・南の風景。左は北方の船岡山、右は南方の雪野山。

額田王はこの辺で薬草を摘んでいたのだろうか。

・・・・・

東近江市の船岡山には、「蒲生野遊猟」の陶板モニュメントと万葉歌碑がある。

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