藤白坂

和歌山県海南市藤白

藤白の 御坂を越ゆと 白栲の 我が衣手は 濡れにけるかも  巻9−1675

『日本書紀』に、

斉明天皇四年冬十月十一日、丹比小沢連国襲を遣わして、有間皇子を藤白坂で絞首にした。

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『万葉集』に二首の歌を遺した有間皇子は、三日の後、ここ藤白坂で死を賜った。

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有間皇子、自ら傷みて松が枝を結ぶ歌二首

岩代の 浜松が枝を 引き結び ま幸くあらば また帰り見む  巻2−141

家なれば 笥に盛る飯を 草枕 旅にしあれば 椎の葉に盛る  巻2−142

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現在、藤白坂の登り口には有間皇子墓石が立つ。

明治時代になってからの建立というから、後世、皇子を偲んで建てられたもの、本当の墓はどこともわからない。

墓石には供花が絶えたことがないという。地元の人たちに悲劇の皇子墓として守られてきた。

藤白坂は、後の熊野古道でもあり、

この小道をしばらく歩くと、道の傍にはいくつもの石仏が旅の安全を守っていてくれる。

皇子の菩提を弔う仏たちでもあろう。

藤白坂の起点には藤白神社がある。境内には皇子を祀る有間皇子神社もある。


藤白神社

有間皇子神社

神社絵馬

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万葉歌碑

有間皇子神社傍

藤白の 御坂を越ゆと 白栲の 我が衣手は 濡れにけるかも  巻9−1675

藤白之 三坂乎越跡 白栲之 我衣手者 所沾香裳

有間皇子墓傍

家なれば 笥に盛る飯を 草枕 旅にしあれば 椎の葉に盛る  巻2−142

家有者 笥尓盛飯乎 草枕 旅尓之有者 椎之葉尓盛

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