妻の社 妻社(西の森) 橋本市妻 大宝元年辛丑の冬の十月に、太上天皇・大行天皇、紀伊の国に幸す時の歌 紀伊の国に やまず通はむ 妻の社 妻寄しこせに 妻といひながら 巻9−1679 妻の社 現在も地名に「妻」を残す橋本市妻に、小さな祠がある。万葉の頃もこの辺りが妻で、鎮守の森があったのだろう。 大和から真土山を越えてこの地まで来た。 旅はまだまだこれからなのに、もう家で待つ妻が恋しくなったのだろうか。私ならもうちょっと開放感を味わいたいなあ。 近くの阿弥陀寺(橋本市河瀬)の塀沿いに銅版で出来た万葉案内板がある。 妻の社保存会が案内しているもので、この案内板の前を通る東西の道が南海道といわれ、「紀伊国に幸す時」に通った道という。 この地区には、東の森、中の森、西の森があり、上記の「妻の社」は西の森という。 |
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