むぎ
馬棚越しに 麦食む駒の 罵らゆれど なほし恋しく 思ひかねつも 巻12−3096
くへ越しに 麦食む小馬の はつはつに 相見し子らし あやに愛しも 巻14−3537
馬棚越し 麦食む駒の はつはつに 新肌触れし 子ろし愛しも 巻14−3537或本
ムギ
イネ科
『万葉集』には「麦」を詠った歌が3首ある。
その麦が近所の畑で稔っている。5月末には刈入れらしい。
この頃を麦秋という。「秋」には収穫という意味がふくまれていて、麦の収穫だからこの初夏の季節を麦秋という。
と、理屈は云えても、この麦畑の麦が大麦なのか小麦なのかも分らない。近くにいた農婦に尋ねると、これは大麦と教えてくれた。
大麦ってどんな風に食べるの?そんなことも知らない。
うちに帰って調べた。小麦は毎日食べるパンやパスタやうどんになる、いわゆる小麦粉だ。
大麦はそのまま食べる!
そうや、小学生の頃を思い出した。うちのご飯には麦が混じっていた。
今では健康のために麦ご飯といって「むぎとろ飯」など美味いと思うし、
私がお世話になった「かつくら」というトンカツ屋さんは麦飯だ。
子どもの頃はこの麦飯の弁当が恥ずかしかった、貧乏の象徴みたいで。
商店街の時計屋の子、洋服屋の子、肉屋の子、医者の子、みんな白いお米のご飯なのに、
農家の子や私は米粒に混じって平べったい黒い線の入った麦が入っていた。
美味しくないと思っていたし、それ以上に、田中は麦飯かと云われるのがとても恥ずかしかった。
何度も母に訴えたと思う。白い米飯にしてほしいと。
母は、何が恥ずかしいものか、健康には麦飯なんやと答えたと思うが、やっぱりそれだけの理由ではなかったのだろう。
今はそんな母に感謝こそすれ、麦飯を責めたりはしない。
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麦秋
私の地方では6月中旬に麦刈りが行われる。隣で水田では、田植えの終ったばかり稲が、
これから秋の稔りへと育っていく、この季節を麦秋という。
『万葉集』に詠まれた「むぎ」は上記の三首
万葉の花