息長帯比売命(気長足姫尊) 神功皇后

福岡・佐賀

香椎宮で仲哀天皇が亡くなり、身内だけの秘かな殯を終えて、国の大祓えを行った。穢れたことを一切祓おうという。

どんな罪穢かというと、

「生剥、逆剥、阿離、溝埋、屎戸、上通下通婚、馬婚、牛婚、鶏婚の罪の類を種種求ぎて、国の大祓を為て、」

けったいな罪や穢れや。昔の人はこんなあきれたことでお祓いをしたというのだ。

とはいえ、平安期の延喜式の「祝詞」にもよく似た罪穢が出てくる。  参考までに、「六月の晦の大祓」

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天皇が亡くなったけど、秘密や。そやないと、次の天皇に大中姫の子の香坂王か忍熊王がなってしまう。

神のお告げで、神功皇后のお腹にいるこの子こそ、次の天皇にせなあかん。

それまではなんとしてもがんばるで、神功皇后の奮闘が始まる。

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「皇后、熊鷲を撃たむと欲して、橿日宮より松峽宮に遷りたまふ。」

皇后は、熊鷲という名前からして強そうな悪者を成敗してやろうと、香椎宮から松峡宮に移る。

途中、皇后の笠がつむじ風で飛ばされた。そこを名付けて「御笠」という。

箸が転んででもおかしい年頃というけれど、まあ、それの類の話。

福岡県大野城市山田に、御笠の森がある。

大野城市の住宅街の中にあり、写真で見るように森といっても今は小さな公園といった感じで、探し求めるのに少々時間がかかった。

新興の住宅地であろう、すぐ近所で御笠の森と尋ねているのだが、みなさん横に首を振るばかりであった。

森の中には、万葉歌碑がある。

思はぬを 思ふと言はば 大野なる 御笠の杜の 神し知らさむ 巻4−561

ところが、最近道路の拡張にともなって、この森が消えたと九州の方から連絡いただいた。

『日本書紀』や『万葉集』の故地が消えた。さびしいなあ。この写真は貴重だ。

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福岡県朝倉郡筑前町粟田に、松峡八幡神社がある。「松峡宮」と云われる。

この地、朝倉郡三輪町栗田だったのに、平成の合併で三輪町は消えた。同じく夜須町も消えた。

神功皇后と応神天皇を祀る。

神社のある旧の朝倉郡三輪町は、以前は夜須郡といっていたが、

大和(奈良)と同じ地名が各地に残り、あたかもこの夜須郡がそっくり大和郷になったという説がある。

九州の勢力が東征し、大和を治めたという説にもつながるようだ。

いくつかを挙げてみる。( )内が夜須郡の地名。

笠置山(笠置山)、三笠山(御笠山)、平群郡(平群郷)、三輪(三輪)、雲梯(雲梯)、朝倉(朝倉)……

三輪を中心に2〜30`にまったくの同名地が存在するのである。山田、加美、高取山(鷹取山)、鳥見山(鳥屋山)まだまだある。

神功皇后と卑弥呼の邪馬台国、『魏志倭人伝』などを読み解く上で、ぞくぞくするような地名がこの地にあるのだ。

神社を訪れたときのことである。

神社鳥居前に車を止め、鳥居をくぐり、石段を登ろうとした時である。

三段ほど上の石段に大きな蛇がいる。私を待っていてくれたように。「三輪大明神」である。

まさにこの地は三輪、大神神社の大物主神が私を出迎えてくれたのである。

急ぎカメラを準備している間に、「三輪大明神」は私を先導するように石垣に消えた。倭迹迹日百襲姫命にも会えるかも…。

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熊鷲をやっつけて、皇后は「我が心則ち安し」とのたもうた。だから、この地を「安やす」という。

訪れたのは初秋、コスモスが一面に花を咲かせる夜須の平野である。熊鷲などという恐ろしい輩など想像できない静かな田園である。

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皇后は、「火前国の松浦縣に到りて、玉嶋里の小河の側に」と、今の佐賀県に到った。

玉嶋里の小河とは、唐津市浜玉町にある玉島川だ。

皇后はこの川で魚釣りをしようとする。これから向う金銀宝の国への侵攻がうまくいくかどうか占うという。

魚が釣れたら大吉。

針をまげて、飯粒を餌に、着ている裳の糸を抜き取って釣り糸に、近くに生えていた小竹を竿にして、

大きな岩の上に乗って、釣り糸を垂れた。「願い叶うならば、魚よ喰え」とのたもうた。

えらいもんや、銀色に輝く年魚が釣れた。

「めづらしき物」が釣れたと大喜び、だからこの地を「めづらの国」という。これがなまって、「まつらの国」、松浦縣である。

この国では、毎年4月上旬になると、皇后と同じように釣り糸を垂れるが、女ばかり釣れて、男はまったく釣れないという。

・・・

佐賀県唐津市浜玉町南山、唐津湾に流れ出る玉島川中流沿いに玉島神社はある。

国道沿いでもあるが、うっかりすると通り過ぎてしまう小さな古社である。

鳥居に掛かる扁額を見ると「神功皇后宮」とある。これが古来からの社名であろう。

「玉島里の小川」とはここを言うのだ。

川沿いの堤には、注連縄を巻いたおおきな石がある。「御立たしの石」という。

吉凶の占いをした鮎釣りの石で、神功皇后はこの石の上に立ち釣り糸を垂れた。

神社に参拝をすると、社殿の奥に篠竹の群がある。ここにも注連縄が施してある。

「釣竿として使われた竹を挿して根づいた竹群」とある。

すごいなぁ、『日本書紀』そのままの風景がここにあり、飯粒を用意すれば、今にも神功皇后が現れて年魚釣りを始めそうだ。

年魚も釣れて大吉、いよいよ宝の国へ出発しよう。

なに着ていこうかな、どんなヘアスタイルにしようかな、バッグはどれにしようかな。皇后も女性、いろいろ悩みます。

横にいた武内宿禰が、「皇后、海外旅行とちゃいますよ。ひょっとして戦争になると思いますよ」

「そうか、わかったわかった。私が兵を連れていく総大将なんやな」

・・・

「皇后、便ち、髮を結分げたまひて、髻みづらにしたまふ」、というから男の髪型や。かっこも男装や。なかなかかっこええ。

宝塚のズカ嬢もまいったという男役。

「暫く男の貌を仮りて、強に雄しき略を起さむ」、というから勇ましい。

・・・

秋九月、諸国に命令して兵を集めようとしたけれど、ちっとも応募がない。

こりゃいかん、神さまのおぼしめしに違いない。さっそく、「三輪社」を建てて、刀や矛を奉った。

そしたら、たくさんの兵が集った。

・・・

福岡県朝倉郡筑前町弥永に、大己貴神社がある。 (ここも旧の三輪町)

この神社が「三輪社」である。旧暦9月の祭礼は、この神功皇后の神事に始まるという。

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髪型も変え、男装して、兵も集め、準備が整った。

ところが大変なことを忘れてた。私、妊娠してる。しかもそろそろ臨月や。

ぜったい安静にしとかなあかんがな。

なのに、「皇后、則ち石を取りて腰に插みて」、出発してしもた。そんなことで出産抑えることできるの?

『筑前国風土記』にその説明がしてあって、

筑前風土記に、神功皇后、三韓に入らむとしたまふに、時既に産月に臨みき。皇后、み自ら祭主と為りて祷ひたまひしく、「事竟へて還らむ日、?土に産るべし」とのりたまひき。時に月の神誨へて曰りたまひしく、「此の神石を以ちてみ腹を撫づべし」とのりたまひき。皇后、乃ち神石に依りて腹と心とを撫でたまふに、み体忽に平安けかりき。今、其の石、筑前の伊覩の県の道の辺にあり。後、雷霹して、神石三段に為りき。

月の神にお願いしたということである。

・・・

福岡県糸島郡二丈町深江子負ヶ原に、鎮懐石八幡宮がある。

この地は、拙「万葉の旅」で紹介しているので、そちらで。

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冬十月、いよいよ船出だ。

大きなお腹した妊婦の皇后、腰には二つの石を挿んで、男装して、

どんなかっこうや、想像するだけで笑ってしまいそうや。

海を渡ること、まことに順風満帆、大魚いっぱい集ってきて、船を浮かしてくれて、ますますスピードアップ。

ホーバークラフトみたいや。

勢い余って、海水とともに陸中まで打ち上げられた。

これを遠くから見ていた新羅の王、

ものすごい軍船団がやって来た。あれは、日本という神国の、天皇という聖王の、その神兵たちだ。

勝てるわけがない。早々、白旗挙げて降参した。戦わずして、金銀宝の国を手に入れた。

それを聞いた隣の高句麗や百済の王も、「こりゃ勝てるわけがない」と二国も白旗挙げた。

三韓とも、今後、調(貢物)を毎年お届けしますと約束をした。

・・・

10月3日に、新羅に出発をして、金銀おみやげいっぱい持って帰ってきて、12月14日に、産気づいた。

3ヶ月も、鎮懐石のおかげで、出産予定日を延ばしたことになる。

無事、男子誕生である。その地を名付けて「宇美うみ」という。

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福岡県糟屋郡宇美町宇美に、宇美八幡宮がある。

境内には、神功皇后の出産に謂れをもつ遺跡が多い。


衣掛の森

湯蓋の森

拝殿左右に、大きな楠があって、どちらも天然記念物に指定されている。

衣掛の楠は、皇后が出産のとき、この樹に衣を掛けたという。

湯蓋の楠は、この樹の下で産湯を使い、この樹の枝葉で湯槽を覆ったからという。


子安の木

うぶゆの水

子安の木は、出産のときこの槐の木の枝を折り、これに取りすがって易々と出産したという。


聖母宮

湯方宮

神功皇后像

湯方宮は、お産のときに仕えた女官を祀る。妊婦や助産婦の信仰篤しとされている。

湯方宮の前には、

無事の安産のお礼と、すこやかな成育を祈願し、子の名と出生日を記した小石が奉納されている。

この石、みなさん、腰に挿んでいた石なのでしょうか。

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