巻十六 3786〜3823

萬葉集 巻第十六

由縁(ゆゑよし)()雑歌(だふか)

むかし、娘子(をとめ)あり。(あざな)桜児(さくらこ)といふ。時に、二人(ふたり)壮士(をとこ)あり。ともにこの娘子(をとめ)(とぶら)ひて、(いのち)()てて格競(あらそ)ひ、死を(むさぼ)りて(あひ)(あた)る。ここに、娘子歔欷(なげ)きて()はく、「(いにしへ)より今に(いた)るまで、いまだ聞かずいまだ見ず、一人(ひとり)(をみな)の身、二つの(かど)往適()くといふことを。今し壮士(をとこ)(こころ)和平(やは)しかたきことあり。しかじ、我が死にて、(あひ)(ころ)すこと永く()まむには」といふ。すなはち、林の中に(たづ)ね入り、()(さが)りて(わな)き死ぬ。その二人の壮士、哀慟(かなしび)にあへず、血の(なみた)(えり)(なが)る。おのもおのも心緒(おもひ)()べて作る歌二首
   

3786 春さらば かざしにせむと 我が思ひし (さくら)の花は 散りゆけるかも  その一
3787 妹が名に ()けたる(さくら) 花咲かば (つね)にや恋ひむ いや年のはに その二

(ある)いは()ふ。むかし、三人(みたり)(をのこ)あり。(とも)に一人の(をみな)(よば)ふ。娘子(をとめ)嘆息(なげ)きて曰はく、「一人の女の身、()やすきこと露のごとし。三人の(をのこ)(こころ)(やは)しかたきこと石のごとし」といふ。つひにすなはち、(ほとり)彷徨(たちもとほ)り、水底(みなそこ)に沈み()りぬ。時に、その壮士(をとこ)ども、哀頽(かなしび)の至りにあへず、おのもおのも所心(おもひ)を陳べて作る歌三首  娘子は、(あざな)縵児(かづらこ)といふ   故地
3788 耳成(みみなし)の 池(うら)めし 我妹子(わぎもこ)が ()つつ(かづ)かば 水は()れなむ  
3789 あしひきの 山縵(やまかづら)の子 今日(けふ)行くと 我れに()げせば 帰り()ましを  
3790 あしひきの 玉縵(たまかづら)の子 今日のごと いづれの(くま)を 見つつ()にけむ  

むかし、老翁(おきな)あり。(なづ)けて竹取(たけとり)(おきな)といふ。この翁、季春の月に、丘に登りて遠く望む。たちまちに(あつもの)を煮る九人(ここのたり)女子(をみな)()ひぬ。百嬌(ひやくけう)(なら)びなく、花容(くわよう)(たぐ)ひなし。時に、娘子(をとめ)ら、老翁を呼び、(わら)ひて()はく、「叔父(をぢ)来れ。この燭火()を吹け」といふ。ここに、翁、「唯々(をを)」といひて、やくやくに(おもぶ)きおもふるに行きて、(くら)の上に着接()きぬ。やや(ひさ)にして、娘子ら皆ともに(ゑみ)(ふふ)み、(あひ)推譲()めて曰はく、「()れかこの翁を呼びつる」といふ。すなはち、竹取の翁(かしこ)まりて曰はく、「非慮(おのはざ)(ほか)に、たまさかに神仙(しんせん)に逢ひぬ。迷惑(まと)ふ心、あへて()ふるところなし。近づき()れぬる罪は、こひねがはくは、(あか)ふに歌をもちてせむ」といふ。すなはち作る歌一首 (あは)せて短歌
3791 みどり子の (わか)()(かみ)には たらちし 母に(むだ)かえ ?(ひむ)(つき)の 稚児(ちご)(かみ)には 木綿(ゆふ)(かた)(ぎぬ) 純裏(ひつら)に縫ひ() (うな)つきの (わらは)(かみ)には ()ひはたの (そで)つけ(ごろも) ()し我れを ()よれる 子らがよちには (みな)(わた) か(ぐろ)し髪を ま(くし)もち ここにかき()れ 取り(つか)ね ()げても巻きみ ()(みだ)り 童髪(わらは)になしみ さ()つらふ 色になつける (むらさき)の (おほ)(あや)(きぬ) 住吉(すみよし)の (とほ)(さと)小野(をの)の ま(はり)もち にほほし(きぬ)に 高麗錦(こまにしき) (ひも)()ひつけ 刺部重部 なみ重ね着て (うち)()やし ()()()ら あり(きぬ)の (たから)の子らが ()ちし(たへ) ()へて織る布 日ざらしの (あさ)()(づく)りを 信巾裳なす 脛裳(はばき)に取らし 友屋所経 稲置(いなき)娘子(をとめ)が (つま)どふと 我れにおこせし (をち)(かた)の (ふた)(あや)(した)(ぐつ) 飛ぶ鳥 明日香(あすか)壮士(をとこ)が 長雨(ながめ)()へ 縫ひし黒沓(くろぐつ) さし()きて 庭にたたずみ 退()けな立ち 禁娘子が ほの聞きて 我れにおこせし 水縹(みはなだ)の 絹の帯を 引き帯なす 韓帯(からおび)に取らし わたつみの 殿(との)(いらか)に 飛び(かけ)る すがるのごとき 腰細(こしぼそ)に 取り(よそ)ほひ まそ鏡 取り()()けて おのがなり かへらひ見つつ 春さりて 野辺(のへ)(めぐ)れば おもしろみ 我れを思へか さ()(とり) 来鳴き(かけ)らふ 秋さりて 山辺(やまへ)を行けば なつかしと 我れを思へか 天雲(あまくも)も い行きたなびく かへり立ち 大道(おほち)()れば うちひさす 宮女(みやをみな) さす竹の 舎人(とねり)壮士(をとこ)も (しの)ぶらひ かへらひ見つつ ()が子ぞとや 思はえてある かくのごと せらゆるゆゑし いにしへ ささきし我れや はしきやし 今日(けふ)やも子らに いさとや 思はえてある かくのごと せらゆるゆゑし いにしへの (さか)しき人も (のち)の世の (かがみ)にせむと 老人(おいひと)を 送りし車 持ち帰りけり 持ち帰りけり

反歌二首
3792 死なばこそ (あひ)()ずあらめ 生きてあらば (しろ)(かみ)子らに ()ひずあらめやも
3793 (しろ)(かみ)し 子らに()ひなば かくのごと 若けむ子らに ()らえかねめや

娘子(をとめ)らが(こた)ふる歌九首
3794 はしきやし (おきな)の歌に おほほしき (ここの)の子らや (かま)けて()らむ  
3795 (はぢ)(しの)び 恥を(もだ)して 事もなく 物言はぬさきに 我れは寄りなむ  
3796 いなもをも ()しきまにまに 許すべき (かほ)見ゆるかも 我れも寄りなむ  
3797 死にも生きも (おや)じ心と 結びてし 友や(たが)はむ 我れも寄りなむ  
3798 何せむと (たが)ひは()らむ いなもをも 友のなみなみ 我れも寄りなむ  
3799 あにもあらじ おのが身のから 人の子の (こと)(つく)さじ 我れも寄りなむ  
3800 はだすすき ()にはな()でそ 思ひてある 心は知らぬ 我れも寄りなむ     
3801 住吉(すみのえ)の 岸野の(はり)に にほふれど にほはぬ我れや にほひて()らむ  
3802 春の野の (した)(くさ)(なび)き 我れも寄り にほひ寄りなむ 友のまにまに  

むかし、壮士(をとこ)(うるは)しき (をみな)あり。姓名は、いまだ(つばひ)らかにあらず。二親(おや)()げずして、(ひそ)かに交接(まじはり)()す。時に、娘子(をとめ)(こころ)に、親に知らせまく()りす。よりて歌詠(うた)を作り、その()に送り与ふ。歌に()はく
3803 (こも)りのみ 恋ふれば苦し 山の()ゆ ()()る月の (あらは)さばいかに

右は、(ある)いは、男に答歌ありといふ。いまだ(さぐ)(もと)むること得ず。

むかし、壮士(をとこ)あり。(あらた)しく婚礼を成す。いまだ(いく)()()ねば、たちまちに駅使(はゆまづかひ)となりて、遠き境に(つか)はさえぬ。(おほやけ)の事は限りあり、()()は日なし。ここに、娘子(をとめ)感慟(いた)みし悽愴(かなし)びて、(やまひ)(しづ)()しぬ。年(かさ)ねて(もち)に、壮士還り(きた)り、覆命(ふくめい)することすでに(をは)りぬ。すなはち、(いた)りて(あひ)()るに、娘子の姿容(かたち)()(るい)せることはなはだ()にして、言語哽咽(かうえつ)す。時に、壮士、哀嘆(かなし)びて(なみた)を流し、歌を(つく)りて口号(くちずさ)ぶ。その歌一首
3804 かくのみに ありけるものを ()()(かは)の (おき)を深めて 我が思へりける

娘子(をとめ)()しつつ、夫君(せのきみ)の歌を聞き、(まくら)より(かしら)()げ、声に(こた)へて(こた)ふる歌一首
3805 ぬばたまの 黒髪()れて (あわ)(ゆき)の 降るにや来ます ここだ恋ふれば

(かむが)ふるに、この歌は、その()、使はえて、すでに(とし)経累()ぬ。しかして、還る時に当りて、雪降る冬なり。これによりて、娘子、この沫雪の句を作るか。

3806 事しあらば ()(はつ)()(やま)の 石城(いはき)にも (こも)らばともに な思ひそ我が

()右は、伝へて()はく、「あるとき、女子(をみなご)あり。父母(ぶも)に知らせず、(ひそ)かに壮士(をとこ)(まじは)る。壮士、その親の呵嘖(ころ)はむことを悚タ(おそ)りて、やくやくに猶予(たゆた)(こころ)あり。これによりて、娘子、この歌を載作(つく)りて、その()に贈り与ふ」といふ。

3807 ()()()(やま) 影さへ見ゆる (やま)()の 浅き心を 我が思はなくに   故地

右の歌は、伝へて()はく、「葛城王(かづらきのおほきみ)陸奥(みちのく)の国に(つか)はさえける時に、国司()祗承(しじよう)緩怠(くわんたい)にあること()にはなはだし。時に、王の(こころ)悦びずして、怒りの色(おもて)(あらは)れぬ。飲饌(いんぜん)()くといへども、あへて宴楽せず。ここに、(さき)采女(うねめ)あり。風流(みやび)娘子(をとめ)なり。左手に水を持ち、王の(ひざ)()ちて、この歌を()む。すなはち、王の意()け悦びて、楽飲すること終日(ひねもす)なり」といふ。

3808 住吉(すみのえ)の ()()()()でて うつつにも おの(づま)すらを 鏡と見つも

右は、伝へて()はく、「むかし、(ひな)(ひと)あり。姓名はいまだ(つばひ)らかにあらず。時に、郷里(さと)男女(をとこをみな)、もろもろ(つど)ひて野遊(やいう)す。この会集(つどひ)の中に鄙人の夫婦(めを)あり。その()容姿(かたち)端正(きらきら)しきこと、衆諸(もろひと)(すぐ)れたり。すなはち、その鄙人の意に、いよいよ妻を(うつく)しぶる(こころ)を増す。すなはち、この歌を作りて、(うるは)しき(かほ)を賛嘆す」といふ。

3809 (あき)(かへ)し めすとの()(のり) あらばこそ 我が(した)(ごろも) 返し(たま)はめ

右は、伝へて()はく、「あるとき、(うつくし)びらえし娘子(をとめ)あり。姓名は、いまだ(つばひ)らかにあらず。(うつくし)びの薄れたる(のち)に、寄物、()には、「かたみ」といふ、を(かへ)し賜ふ。ここに、娘子怨恨(うら)みて、いささかにこの歌を作りて献上(たてまつ)る」といふ。

3810 (うま)(いひ)を 水に()みなし 我が待ちし かひはかつてなし (ただ)にしあらねば

右は、伝へて()はく、「むかし、娘子(をとめ)あり。その()(あひ)別れて (した)ひ恋ひて年()ぬ。その時に、(せの)(きみ)さらに(あた)()(めと)り、(ただ)()()ずて、ただ裹物(つつみもの)のみを贈る。これによりて、娘子、この(うら)むる()を作りて、(かへ)(こた)ふ」といふ。

(せの)(きみ)に恋ふる歌一首 (あは)せて短歌
3811 ()つらふ 君がみ(こと)と 玉梓(たまづさ)の 使(つかひ)()ねば 思ひ()む 我が身ひとつぞ ちはやぶる 神にもな()ほせ (うら)()()ゑ (かめ)もな焼きそ 恋ひしくに 痛き我が身ぞ いちしろく 身にしみ(とほ)り むらきもの 心(くだ)けて 死なむ(いのち) にはかになりぬ 今さらに 君が我を呼ぶ たらちねの 母のみ(こと)か (もも)()らず 八十(やそ)(ちまた)に 夕占(ゆふけ)にも (うら)にもぞ問ふ 死ぬべき我がゆゑ

反歌
3812 (うら)()をも 八十(やそ)(ちまた)も (うら)()へど 君を(あひ)()む たどき知らずも

或本の反歌に()はく
3813 我が(いのち)は ()しくもあらず さ()つらふ 君によりてぞ 長く()りせし

右は、伝へて()はく、「あるとき、娘子(をとめ)あり。(うぢ)車持氏(くるまもちうぢ)なり。その()、久しく年序(とし)()れども、往来(わうらい)をなさず。時に、娘子、係恋(おもひ)に心を(いた)みして、(やまひ)(しづ)()しぬ。痩羸(そうるい)すること()()にして、たちまちに泉路(せんろ)(のぞ)む。ここに、使(つかひ)()り、その夫君(せのきみ)()びて()す。すなはち、 歔欷(なげ)きて(なみた)を流し、この歌を口号(くちづさ)びて、すなはち逝没(みまか)りぬ」といふ。

贈る歌一首
3814 (しら)(たま)は ()()えしにきと 聞きしゆゑに その()また()き 我が玉にせむ

答ふる歌一首
3815 白玉(しらたま)の ()()えはまこと しかれども その()また()き 人持ちいにけり

右は、伝へて()はく、「あるとき、娘子(をとめ)あり。(せの)(きみ)()てらえて、(あた)(うぢ)改適(かいてき)す。時に、ある相士(をとこ)、改適のことを知らずして、この歌を贈り(つか)はし、(をみな)の父母に()(とぶら)ふ。ここに、父母の(こころ)に、相士いまだ委曲(つばひ)らかにある(むね)を聞かずして、すなはち、その歌を作りて(こた)へ送り、もちて改適の(よし)(あらは)す」といふ。

穂積親王(ほづみのみこ)の御歌一首
3816 家にある (ひつ)(かぎ)さし (おさ)めてし 恋の(やつこ)が つかみかかりて

右の歌一首は、穂積親王(ほづみのみこ)(えん)(いん)の日に、酒(たけなは)にある時に、(この)みてこの歌を()み、もちて(つね)(めで)()す。
3817 かるうすは ()(ぶせ)(もと)に 我が()()は にふぶに()みて 立ちませりみゆ
3818 (あさ)(がすみ) 鹿()()()(した)の 鳴きかはづ (しの)ひつつありと 告げむ子もがも

右の歌二首は、河村王(かはむらのおほきみ)、宴居の時に、琴を()きてすなはちまづこの歌を()み、もちて(つね)(わざ)()す。
3819 夕立(ゆふだち)の 雨うちふれば 春日(かすが)()の ()(ばな)(うれ)の 白露思ほゆ   
3820 (ゆふ)づく日 さすや川辺(かはへ)に 作る()の (かた)をよろしみ うべ()そりけり

右の歌二首は、小鯛王(こだひのおほきみ)、宴居の日に、琴を取れば、すなはち、かならずまづこの歌を吟詠(ぎんえい)す。その小鯛王は、(また)の名は、置始多久美(おきそめのたくみ)、この人なり。

児部女王(こべのおほきみ)(わら)ふ歌一首
3821 うましもの いづくか()かじ 尺度(さかと)らし (つの)のふくれに しぐひ合ひにけむ

右は、あるとき、娘子(をとめ)あり。(うぢ)尺度(さかと)(うぢ)なり。この娘子は、高き(かばね)美人(うまひと)(とぶら)ふところを(ゆる)さず、(いや)しき(かばね)醜士(しこを)が誂ふところを()()す。ここに、児部女王(こべのおほきみ)、この歌を()()りて、その愚を嗤咲(わら)ふ。

古歌に()はく
3822 (たちばな)の 寺の長屋に 我が()()し 童女(うなゐ)放髪(はなり)は 髪上げつらむか

右の歌は、椎野連長年(しひのむらじながとし)、説きて曰はく、「それ、()()の屋は、俗人(よのひと)()る処にあらず。また、若冠(じやくくわん)(をみな)?()ひて、放髪丱(はなり)といふ。しからばすなはち、腰句にすでに放髪丱と云へれば、()句に重ねて著冠(ちやくくわん)(こと)を云ふべくあらじか」といふ。

(さだ)めて()はく
3823 (たちばな)の 照れる長屋に 我が()()し 童女(うなゐ)放髪(はなり)に 髪上げつらむか

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