巻四 619〜713

大伴坂上郎女が(ゑん)(こん)()一首 (あは)せて短歌
619 おしてる 難波(なには)(すげ)の ねもころに 君が聞こして 年深く 長くし言へば まそ鏡 ()ぎし心を ゆるしてし その日の(きは)み 波の(むた) (なび)玉藻(たまも)の かにかくに 心は持たず 大船(おほぶね)の (たの)める時に ちはやぶる 神か()くらむ うつせみの 人か()ふらむ (かよ)はしし 君も来まさず 玉梓(たまづさ)の 使(つかひ)も見えず なりぬれば いたもすべなみ ぬばたまの 夜はすがらに 赤らひく 日も暮るるまで 嘆けども (しるし)をなみ 思へども たづきを知らに たわや()と 言はくもしるく たわらはの ()のみ泣きつつ た(もとほ)り 君が使を 待ちやかねてむ

反歌
620 初めより 長く言ひつつ (たの)めずは かかる思ひに 逢はましものか

西海道(さいかいだう)節度使判官(せつどしのじょう)佐伯宿禰東人(さへきのすくねあづまひと)が妻、()の君に贈る歌一首
621 (あひだ)なく 恋ふれにかあらむ 草枕 旅なる君が (いめ)にし見ゆる

佐伯宿禰東人((こた)ふる歌一首
622 草枕 旅に久しく なりぬれば ()をこそ思へ な恋ひそ我妹(わぎも

)池辺王(いけへのおほきみ)宴誦歌(えんしようか)
623 (まつ)の葉に 月はゆつりぬ 黄葉(もみちば)の 過ぐれや君が 逢はぬ夜ぞ多き

天皇、酒人女王(さかひとのおほきみ)を思ほす御製歌一首 女王は、穂積皇子(ほづみのみこ)の孫女なり
624 道に逢ひて ()ますがからに 降る雪の ()なば()ぬがに 恋ふといふ我妹(わぎも 

)高安王(たかやすのおほきみ)(つつ)める(ふな)娘子(をとめ)に贈る歌一首 高安王は後に姓大原真人(おほはらのまひと)(うぢ)を賜はる
625 沖辺行き ()を行き今や (いも)がため 我が(すなど)れる ()(ふし)(つか)(ふな 

)八代女王(やしろのおほきみ)、天皇に(たてまつ)る歌一首

626 君により (こと)(しげ)きを 故郷(ふるさと)の 明日香の川に みそぎしに行く

娘子(をとめ)佐伯宿禰赤麻呂(さへきのすくねあかまろ)(こた)へ贈る歌一首
627 我がたもと まかむと思はむ ますらをは をち水求め 白髪(しらか)()ひにたり

佐伯宿禰赤麻呂(さへきのすくねあかまろ)(こた)ふる歌一首
628 白髪(しらか)()ふる ことは思はず をち水は かにもかくにも 求めて行かむ

大伴四綱(おほとものよつな)が宴席歌一首
629 (なに)すとか 使(つかひ)の来つる 君にこそ かにもかくにも 待ちかてにすれ

佐伯宿禰赤麻呂(さへきのすくねあかまろ)が歌一首
630 (はつ)(はな)の 散るべきものを (ひと)(ごと)の (しげ)きによりて よどむころかも

湯原王(ゆはらのおほきみ)娘子(をとめ)に贈る歌二首  志貴皇子(しきのみこ)の子なり
631 うはへなき ものかも人は しかばかり 遠き(いへ)()を 帰さく思へば
632 目には見て 手には取らえぬ 月の(うち)の (かつら)のごとき (いも)をいかにせむ

娘子(をとめ)(こた)へ贈る歌二首
633 そこらくに 思ひけめかも (しき)(たへ)の 枕(かた)さる (いめ)に見え()
634 家にして 見れど飽かぬを 草枕 旅にも妻と あるが(とも)しさ

湯原王(ゆはらのおほきみ)、また贈る歌二首
635 草枕 旅には妻は ()たれども 櫛笥(くしげ)のうちの 玉をこそ思へ
636 我が(ころも) 形見に(まつ)る (しき)(たへ)の 枕を()けず まきてさ寝ませ

娘子(をとめ)、また(こた)へ贈る歌一首
637 我が()()が 形見の(ころも) 妻どひに 我が身は()けじ (こと)とはずとも

湯原王(ゆはらのおほきみ)、また贈る歌一首
638 ただ一夜(ひとよ) (へだ)てしからに あらたまの (つき)()ぬると 心(まと)ひぬ

娘子(をとめ)、また(こた)へ贈る歌一首
639 我が背子が かく恋ふれこそ ぬばたまの (いめ)に見えつつ ()ねらえずけれ

湯原王(ゆはらのおほきみ)、また贈る歌一首
640 はしけやし ()(ちか)き里を (くも)()にや 恋ひつつ()らむ 月も経なくに

娘子(をとめ)、また(こた)へ贈る歌一首
641 絶ゆと言はば わびしみせむと 焼大刀(やきたち)の へつかふことは (さき)くや我が君

湯原王(ゆはらのおほきみ)が歌一首
642 我妹子(わぎもこ)に 恋ひて乱れば くるべきに 懸けて寄せむと 我が恋ひそめし

紀女郎(きのいらつめ)怨恨歌(えんこんか)三首  鹿人大夫(かひとのまへつきみ)(むすめ) 名を小鹿(をしか)といふ。安貴王(あきのおほきみ)が妻なり
643 世の中の (をみな)にしあれば 我が渡る (あな)()の川を 渡りかねめや
644 今は我は わびぞしにける (いき)()に 思ひし君を ゆるさく思へば
645 (しろ)(たへ)の 袖(わか)るべき 日を近み 心にむせひ ()のみし泣かゆ

大伴宿禰駿河麻呂(おほとものすくねするがまろ)が歌一首
646 ますらをの 思ひわびつつ たび()()く 嘆くなげきを ()はぬものかも

大伴坂上郎女(おほとものさかのうへのいらつめ)が歌一首
647 心には 忘るる日なく 思へども 人の(こと)こそ (しげ)き君にあれ

大伴宿禰駿河麻呂(おほとものすくねするがまろ)歌一首
648 (あひ)()ずて ()長くなりぬ このころは いかに(さき)くや いふかし我妹(わぎも

)大伴坂上郎女(おほとものさかのうへのいらつめ)が歌一首
649 (なつ)(くず)の 絶えぬ使(つかひ)の よどめれば (こと)しもあるごと 思ひつるかも   

右、坂上郎女は佐保大納言卿(さほのだいなごんのまへつきみ)(むすめ)あり。駿河(するが)麻呂(まろ)は、この高市大卿(たけちのおほまへつきみ)が孫なり。両卿は兄弟の家、女と孫とは(をば)(をひ)(うがら)なり。ここをもちて、歌を題して送り答へ、起居を(さう)(もん)

大伴宿禰三依(おほとものすくねみより)()れてまた逢ふことを(よろこ)ぶる歌一首
650 我妹子(わぎもこ)は 常世(とこよ)の国に 住みけらし 昔見しより をちましにけり

大伴坂上郎女(おほとものさかのうへのいらつめ)が歌二首
651 ひさかたの (あめ)(つゆ)(しも) 置きにけり 家なる人も 待ち恋ひぬらむ
652 (たま)(もり)に 玉は授けて かつがつも 枕と我れは いざふたり寝む

大伴宿禰駿河麻呂(おほとものすくねするがまろ)が歌三首
653 心には 忘れぬものを たまさかに 見ぬ日さまねく 月ぞ()にける
654 (あひ)()ては 月も()なくに 恋ふと言はば をそろと我れを 思ほさむかも
655 思はぬを 思ふと言はば 天地(あめつち)の 神も知らさむ 邑礼左変

大伴坂上郎女(おほとものさかのうへのいらつめ)が歌六首
656 我れのみぞ 君には恋ふる 我が()()が 恋ふといふことを (こと)のなぐさぞ
657 はじと 言ひてしものを はねず(いろ)の うつろひやすき 我が心かも   
658 思へども (しるし)もなしと 知るものを 何かここだく 我が恋ひわたる
659 あらかじめ (ひと)(ごと)(しげ)し かくしあらば しゑや我が()() (おく)もいかにあらめ
660 ()をと我を 人ぞ()くなる いで我が君 人の(なか)(ごと) 聞きこすなゆめ
661 恋ひ恋ひて 逢へる時だに うるはしき (こと)(つく)してよ 長くと思はば

市原王(いちはらのおほきみ)が歌一首
662 ()()の山 五百(いほ)()隠せる ()()の崎 さで()へし子が (いめ)にし見ゆる

安都宿禰年足(あとのすくねとしたり)が歌一首
663 佐保渡り 我家(わぎへ)の上に 鳴く鳥の 声なつかしみ はしき妻の子

大伴宿禰像見(おほとものすくねかたみ)が歌一首
664 石上(いそのかみ) 降るとも雨に つつまめや (いも)に逢はむと 言ひてしものを

安倍朝臣虫麻呂(あへのあそみむしまろ)が歌一首
665 向ひ()て 見れども()かぬ 我妹子(わぎもこ)に 立ち(はな)れ行かむ たづき知らずも

大伴坂上郎女(おほとものさかのうへのいらつめ)が歌二首
666 (あひ)見ぬは (いく)(びさ)さにも あらなくに ここだく我れは 恋ひつつもあるか
667 恋ひ恋ひて 逢ひたるものを 月しあれば ()(こも)るらむ しましはあり待て

右、大伴坂上郎女が母、石川内命婦(いしかはのないみやうぶ)と、安倍朝臣虫麻呂(あへのあそみむしまろ)が母、安曇外命婦(あづみのげみやうぶ)とは、同居の姉妹、同気の(しん)なり。これによりて郎女と虫麻呂とは、相見ること(うと)くあらず、相(かた)らふことすでに密なり。いささかに戯歌(ぎか)を作りて、もちて問答をさせるぞ。

厚見王(あつみのおほきみ)が歌一首
668 朝に()に 色づく山の 白雲の 思ひ過ぐべき 君にあらなくに

春日王(かすがのおほきみ)が歌一首 志貴皇子の子、母は多紀皇女(たきのひめみこ)といふ
669 あしひきの 山橘(やまたちばな)の 色に出でよ 語らひ()ぎて 逢ふこともあらむ   

湯原王(ゆはらのおほきみ)が歌一首
670 (つく)(よみ)の 光に()ませ あしひきの 山きへなりて 遠からなくに

(こた)ふる歌一首  作者を(つばひ)らかにせず
671 (つく)(よみ)の 光は清く 照らせども (まと)へる心 思ひあへなくに

安倍朝臣虫麻呂(あへのあそみむしまろ)が歌一首
672 しつたまき 数にもあらぬ (いのち)もて 何かここだく 我が恋ひわたる

大伴坂上郎女(おほとものさかのうへのいらつめ)が歌二首
673 まそ鏡 ()ぎし心を ゆるしてば (のち)に言ふとも (しるし)あらめやも
674 ()(たま)つく をちこち兼ねて (こと)()へど 逢ひて(のち)こそ (くい)にはありといへ


中臣女郎(なかとみのいらつめ)、大伴宿禰家持に贈る歌五首
675 をみなへし ()()(さは)()ふる (はな)かつみ かつても知らぬ 恋もするかも 故地  
676 (わた)の底 (おき)を深めて 我が思へる 君には逢はむ 年は()ぬとも
677 春日(かすが)(やま) 朝()る雲の おほほしく 知らぬ人にも 恋ふるものかも
678 (ただ)に逢ひて 見てばのみこそ たまきはる 命に向ふ 我が恋やまめ
679 いなと言はば ()ひめや我が() (すが)の根の 思ひ乱れて 恋ひつつもあらむ

大伴宿禰家持、交遊(かうゆう)と別るる歌三首
680 けだしくも 人の(なか)(ごと) 聞かせかも ここだく待てど 君が来まさぬ
681 なかなかに 絶ゆとし言はば かくばかり 息の()にして 我れ恋ひめやも
682 思ふらむ 人にあらなくに ねもころに 心(つく)して 恋ふる我れかも

大伴坂上郎女(おほとものさかのうへのいらつめ)が歌七首
683 ()(こと)の (かしこ)き国ぞ (くれなゐ)の 色にな出でぞ 思ひ死ぬとも
684 今は我は 死なむよ我が() 生けりとも 我れに依るべしと 言ふといはなくに
685 (ひと)(ごと)を (しげ)みか君が (ふた)(さや)の 家を隔てて 恋ひつついまさむ
686 このころは 千年(ちとせ)や行きも 過ぎぬると 我れかしか思ふ 見まく()りかも
687 うるはしと 我が思ふ心 早川の ()きに塞くとも なほや()えなむ
688 青山を 横ぎる雲の いちしろく 我れと()まして 人に知らゆな
689 (うみ)(やま)も 隔たらなくに 何しかも ()(ごと)をだにも ここだ(とも)しき

大伴宿禰三依(おほとものすくねみより)、別れを悲しぶる歌一首
690 照る月を (やみ)に見なして 泣く(なみた) (ころも)濡らしつ ()す人なしに

大伴宿禰家持、娘子(をとめ)に贈る歌二首
691 ももしきの 大宮人(おほみやひと)は さはにあれど 心に乗りて 思ほゆる(いも)
692 うはへなき (いも)にもあるか かくばかり 人の心を (つく)さく思へば

大伴宿禰千室(おほとものすくねちむろ)が歌一首  いまだ(つばひ)らかにあらず
693 かくのみし 恋ひやわたらむ (あき)()()に たなびく雲の 過ぐとはなしに

広河女王(ひろかはのおほきみ)が歌二首  穂積皇子(ほづみのみこ)の孫女、上道王(かみつみちのおほきみ)(むすめ)なり
694 (こひ)(くさ)を (ちから)(くるま)に (なな)(くるま) 積みて恋ふらく 我が心から
695 (こひ)は今は あらじと我れは 思へるを いづくの恋ぞ つかみかかれる

石川朝臣広成(いしかはのあそみひろなり)が歌一首 後には姓高円朝臣(たかまどのあそみ)(うぢ)を賜はる
696 (いへ)(ひと)に 恋過ぎめやも かはづ鳴く (いづみ)の里に 年の()ぬれば

大伴宿禰像見(おほとものすくねかたみ)が歌三首
697 我が(きき)に ()けてな言ひそ 刈り(こも)の 乱れて思ふ 君が(ただ)()
698 春日(かすが)()に 朝()る雲の しくしくに 我れは恋ひます 月に日に()
699 (ひと)()には ()たび(さは)らひ 行く水の 後にも逢はむ 今にあらずとも

大伴宿禰家持、娘子(をとめ)(かど)に到りて作る歌一首
700 かくしてや なほや(まか)らむ (ちか)からぬ 道の(あひだ)を なづみ()ゐ来て

河内百枝(かふちのももえ)娘子(をとめ)、大伴宿禰家持に贈る歌二首
701 はつはつに 人を相見て いかにあらむ いづれの日にか また(よそ)に見む
702 ぬばたまの その夜の月夜(つくよ) 今日(けふ)までに 我れは忘れず ()なくし思へば

巫部麻蘇(かむなぎべのまそ)娘子(をとめ)が歌二首
703 我が()()を (あひ)()しその日 今日までに 我が(ころも)()は ()る時もなし
704 (たく)(なは)の 長き命を ()りしくは 絶えずて人を 見まく()りこそ

大伴宿禰家持、童女(どうぢょ)に贈る歌一首
705 はねかづら 今する(いも)を (いめ)に見て 心のうちに 恋ひわたるかも

童女(どうぢょ)来報(こた)ふる歌一首
706 はねかづら 今する(いも)は なかりしを いづれの(いも)ぞ そこば恋ひたる

粟田女(あはたのめ)娘子(をとめ)、大伴宿禰家持に贈る歌二首
707 思ひ()る すべの知らねば (かた)(もひ)の 底にぞ我れは 恋ひ成りにける

(かた)(もひ)の中に(しる)
708 またも逢はむ よしもあらぬか (しろ)(たへ)の 我が(ころも)()に いはひ(とど)めむ

豊前(とよのみちのくち)の国の娘子(をとめ)大宅女(おほやけめ)が歌一首  いまだ姓氏を(つばひ)らかにせず
709 夕闇(ゆふやみ)は 道たづたづし 月待ちて ()ませ我が()() その()にも見む

安都扉(あとのとびら)娘子(をとめ)が歌一首
710 み空行く 月の光に ただ一目(ひとめ) (あひ)()し人の (いめ)にし見ゆる

丹波大女(たにはのおほめ)娘子(をとめ)が歌三首
711 (かも)(とり)の 遊ぶこの池に ()の葉落ちて 浮きたる心 我が思はなくに
712 (うま)(さけ)を 三輪(みわ)(はふり)が いはふ杉 ()()れし罪か 君に逢ひかたき   故地
713 (かき)ほなす (ひと)(ごと)聞きて 我が()()が 心たゆたひ 逢はぬこのころ

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