巻一 45〜84

軽皇子(かるのみこ)()()の野に宿ります時に、柿本朝臣人麻呂が作る歌   故地
45 やすみしし 我が大君 高照らす 日の御子(みこ) (かみ)ながら (かむ)さびせすと (ふと)()かす 都を置きて こもりくの (はつ)()の山は ()()立つ (あら)(やま)(みち)を 岩が根 (さへ)()押しなべ 坂鳥の 朝越えまして 玉かぎる (ゆふ)さり来れば み雪降る ()()の大野に (はた)すすき 小竹(しの)を押しなべ 草枕 (たび)宿(やど)りせす いにしへ思ひて   

短歌
46 ()()() 宿(やど)る旅人 うち(なび)き ()()らめやも いにしへ思ふに
47 ま草刈る 荒野(あらの)にはあれど 黄葉(もみちば)の 過ぎにし君が 形見とぞ()
48 (ひむがし)の 野にかぎろひの 立つ見えて かへり見すれば 月かたぶきぬ
49 日並(ひなみし)の 皇子(みこ)(みこと)の 馬()めて み(かり)立たしし 時は()(むか)

藤原の宮の役民(えきみん)の作る歌
50 やすみしし 我が大君 高照らす 日の()() (あら)(たへ)の 藤原が(うへ)に ()す国を ()したまはむと みあらかは (たか)()らさむと (かむ)ながら 思ほすなへに 天地(あめつち)も 寄りてあれこそ (いは)(ばし)る 近江(あふみ)の国の (ころも)()の (たな)(かみ)(やま)の ()()さく ()のつまでを もののふの 八十(やそ)宇治川に 玉藻なす 浮かべ流せれ そを取ると (さわ)()(たみ)も 家忘れ 身もたな知らず (かも)じもの 水に浮き()て 我が作る 日の()(かど)に 知らぬ国 寄し()()()より 我が国は 常世(とこよ)にならむ (あや)()へる くすしき(かめ)も 新代(あらたよ)と 泉の川に 持ち越せる ()()のつまでを (もも)()らず (いかだ)に作り (のぼ)すらむ いそはく見れば (かむ)からにあらし   故地

右は、日本紀には「朱鳥(あかみとり)の七年癸巳(みづのとみ)の秋の八月に藤原の宮地(みやところ)(いでま)す。八年甲午(きのえうま)の春の正月に藤原の宮に幸す。冬の十二月庚戌(かのえいぬ)(つきたち)乙卯(きのとう)に藤原の宮に(うつ)る」といふ。

明日香の宮より藤原の宮に(うつ)りし後に、志貴皇子(しきのみこ)の作らす歌
51 采女(うねめ)の 袖吹きかへす 明日香風 (みやこ)(とほ)み いたづらに吹く

藤原の宮の()()の歌
52 やすみしし ()ご大君 高照らす 日の()() (あら)(たへ)の 藤井が原に (おほ)御門(みかど) 始めたまひて 埴安(はにやす)の 堤の上に あり立たし ()したまへば 大和の (あを)香具山は 日の(たて)の (おほ)御門(みかど)に 春山と ()みさび立てり 畝傍(うねび)の この(みづ)(やま)は 日の(よこ)の 大き御門に 瑞山と 山さびいます (みみ)(なし)の (あお)(すが)(やま)は 背面(せとも)の 大き御門に よろしなへ (かむ)さび立てり 名ぐはし 吉野の山は (かげ)(とも)の 大き御門ゆ 雲居にぞ 遠くありける (たか)()るや (あめ)()(かげ) (あめ)()るや 日の御蔭の 水こそば とこしへにあらめ 御井の清水(ましみづ)

短歌
53 藤原の 大宮(つか)へ ()()くや をとめがともは (とも)しきろかも
右の歌は、作者いまだ(つばひ)らかにあらず。

大宝元年辛丑(かのとうし)の秋の九月に、太上天皇(おほきすめらみこと)紀伊()の国に(いでま)す時の歌
54 ()()(やま)の つらつら椿(つばき) つらつらに 見つつ(しの)はな 巨勢の春野を    故地 

右の一首は坂門人足(さかとのひとたり)

55 あさもよし 紀伊()(ひと)(とも)しも ()(つち)(やま) 行き()と見らむ 紀伊人羨しも   故地
右の一首は調首淡海(つきのおびとあふみ)

或本の歌
56 川の()の つらつら椿(つばき) つらつらに 見れども()かず の春野は

右の一首は春日蔵首老(かすがのくらびとおゆ)

二年壬寅(みずのえとら)に、太上天皇(おほきすめらみこと)三河(みかは)の国に(いでま)す時の歌
57 (ひく)()()に にほふ(はり)(はら) 入り乱れ (ころも)にほはせ 旅のしるしに   故地

右の一首は長忌寸意吉麻呂(なかのいみきおきまろ)

58 いづくにか (ふな)()てすらむ ()()の崎 ()()み行きし (たな)なし()(ぶね)    故地

右の一首は高市連黒人(たけちのむらじくろひと)

誉謝女王(よざのおほきみ)が作る歌
59 流らふる つま吹く風の 寒き夜に 我が()の君は ひとりか()らむ

長皇子(ながのみこ)の御歌
60 (よひ)に逢ひて (あした)(おも)なみ 名張(なばり)にか ()長く(いも)が (いほ)りせりけむ

舎人娘子(とねりのをとめ)従駕(おほみとも)にして作る歌
61 ますらをの さつ矢()(ばさ)み 立ち向ひ ()(まと)(かた)は 見るにさやけし

三野連(みののむらじ) 名は欠けたり (もろこし)に入る時に、春日蔵首老(かすがのくらびとおゆ)が作る歌
62 ありねよし 対馬(つしま)の渡り (わた)(なか)に (ぬさ)取り向けて (はや)帰り()

山上臣憶良(やまのうへのおみおくら)大唐(もろこし)に在る時に、本郷(くに)(おも)ひて作る歌
63 いざ子ども 早く日本(やまと)へ 大伴(おほとも)の ()()の浜松 待ち恋ひぬらむ

慶雲(きやううん)三年丙午(ひのえうま)に、難波(なには)の宮に(いでま)す時 志貴皇子(しきのみこ)の作らす歌
64 (あし)()行く (かも)()がひに (しも)()りて 寒き(ゆうへ)は 大和(やまと)し思ほゆ   

長皇子(ながのみこ)の御歌
65 (あられ)打つ ()()()松原 住吉(すみのえ)の (おと)()娘子(をとめ)と 見れど()かぬかも   故地

太上天皇(おほきすめらみこと)難波(なには)の宮に(いでま)す時の歌
66 大伴(おほとも)の 高石(たかし)の浜の 松が根を (まくら)()れど 家し(しの)はゆ

右の一首は置始東人(おきそめのあづまひと)

67 旅にして もの恋しきに (たづ)()も 聞こえずありせば 恋ひて死なまし

右の一首は高安大島(たかやすのおほしま)

68 大伴の 御津の浜なる 忘れ貝 家なる(いも)を 忘れて思へや

右の一首は身人部王(むとべのおほきみ)

69 草枕(くさまくら) 旅行く君と 知らませば 岸の埴生(はにふ)に にほはさましを

右の一首は清江娘子(すみのえのをとめ)長皇子(ながのみこ)(たてまつ)る。姓氏いまだ詳らかにあらず。

太上天皇(おほきすめらみこと)、吉野の宮に(いでま)す時に、高市連黒人(たけちのむらじくろひと)が作る歌
70 大和には 鳴きてか()らむ 呼子(よぶこ)(どり) (きさ)の中山 呼びぞ越ゆなる   故地

大行天皇(さきのすめらみこと)難波(なには)の宮に(いでま)す時の歌
71 大和恋ひ ()()らえぬに 心なく この洲崎(すさき)みに (たづ)鳴くべしや

右の一首は忍坂部乙麻呂(おさかべのおとまろ)

72 玉藻刈る (おき)()は漕がじ (しき)(たへ)の 枕のあたり (おも)ひかねつも

右の一首は式部卿(しきぶのきやう)藤原宇合(ふぢはらのうまかひ)

長皇子(ながのみこ)の御歌
73 (わぎ)()()を (はや)()(はま)(かぜ) 大和なる 我れ(まつ)椿(つばき) 吹かざるなゆめ

大行天皇(さきのすめらみこと)、吉野の宮に(いでま)す時の歌
74 み吉野の 山のあらしの 寒けくに はたや今夜(こよひ)も 我がひとり寝む

右の一首は、或いは「天皇の御製歌」といふ。

75 宇治(うぢ)()(やま) 朝風寒し 旅にして (ころも)()すべき (いも)もあらなくに

右の一首は長屋王(ながやのおほきみ)

和銅元年戊申(つちのえさる)

天皇にの御製

76 ますらをの (とも)(おと)すなり 物部(もののべ)の 大臣(おほまへつきみ) (たて)立つらしも

御名部皇女(みなべのひめみこ)(こた)(まつ)る御歌
77 我が大君 ものな思ほし 皇神(すめかみ)の 継ぎて賜へる 我がなけなくに

和銅三年庚戌(かのえいぬ)の春の二月に、藤原の宮より()()の宮に(うつ)る時に、神輿(みこし)長屋(ながや)の原に(とど)め、古郷(ふるさと)廻望(かへりみ)て作る歌 一書には「太上天皇(おほきすめらみこと)の御製」といふ
78 飛ぶ鳥 明日香(あすか)の里を 置きて()なば 君があたりは 見えずかもあらむ

或本、藤原の京より()()の宮に(うつ)る時の歌
79 大君の (みこと)(かしこ)み にきびにし 家を置き こもりくの (はつ)()の川に 舟()けて 我が行く川の 川隈(かわくま)の 八十(やそ)(くま)おちず (よろづ)たび かへり見しつつ (たま)(ほこ)の 道行き暮らし あをによし 奈良の都の ()()川に い行き至りて 我が寝たる (ころも)の上ゆ (あさ)月夜(づくよ) さやかに見れば (たへ)のほに (よる)の霜降り (いわ)(とこ)と 川の()(こご)り 寒き()を 休むことなく 通ひつつ 作れる家に 千代(ちよ)までに いませ大君よ 我れも(かよ)はむ

反歌
80 あをによし 奈良の家には 万代(よろづよ)に 我れも通はむ 忘ると思ふな

右の歌は、作主いまだ(つばひ)らかにあらず。

和銅五年壬子(みづのえね)の夏の四月に、長田王(ながたのおほきみ)を伊勢の斎宮(いつきのみや)に遣はす時に、山辺(やまのへ)()()にして作る歌
81 山辺(やまのへ)の ()()を見がてり (かむ)(かぜ)の 伊勢(いせ)娘子(をとめ)ども (あい)()つるかも   故地 故地 故地
82 うらさぶる 心さまねし ひさかたの (あめ)のしぐれの 流れ合ふ見れば
83 (わた)の底 沖つ白波 龍田(たつた)山 いつか超えなむ (いも)があたり見む

右の二首は、今(かむが)ふるに、御井にして作るところに似ず。けだし、その時に()む古歌か。

()()(みや)

長皇子(ながのみこ)志貴皇子(しきのみこ)佐紀(さき)(みや)にしてともに(うたげ)する歌

84 秋さらば 今も見るごと (つま)()ひに 鹿()鳴かむ山ぞ (たか)()(はら)(うへ

)右の一首は長皇子。

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