軽皇子、阿騎の野に宿ります時に、柿本朝臣人麻呂が作る歌 ☆故地 45 やすみしし 我が大君 高照らす 日の御子 神ながら 神さびせすと 太敷かす 都を置きて こもりくの 泊瀬の山は 真木立つ 荒山道を 岩が根 禁樹押しなべ 坂鳥の 朝越えまして 玉かぎる 夕さり来れば み雪降る 安騎の大野に 旗すすき 小竹を押しなべ 草枕 旅宿りせす いにしへ思ひて ☆花 短歌 46 阿騎の野に 宿る旅人 うち靡き 寐も寝らめやも いにしへ思ふに 47 ま草刈る 荒野にはあれど 黄葉の 過ぎにし君が 形見とぞ来し 48 東の 野にかぎろひの 立つ見えて かへり見すれば 月かたぶきぬ 49 日並の 皇子の命の 馬並めて み狩立たしし 時は来向ふ 藤原の宮の役民の作る歌 50 やすみしし 我が大君 高照らす 日の御子 荒栲の 藤原が上に 食す国を 見したまはむと みあらかは 高知らさむと 神ながら 思ほすなへに 天地も 寄りてあれこそ 石走る 近江の国の 衣手の 田上山の 真木さく 檜のつまでを もののふの 八十宇治川に 玉藻なす 浮かべ流せれ そを取ると 騒く御民も 家忘れ 身もたな知らず 鴨じもの 水に浮き居て 我が作る 日の御門に 知らぬ国 寄し巨勢道より 我が国は 常世にならむ 図負へる くすしき亀も 新代と 泉の川に 持ち越せる 真木のつまでを 百足らず 筏に作り 泝すらむ いそはく見れば 神からにあらし ☆故地
右は、日本紀には「朱鳥の七年癸巳の秋の八月に藤原の宮地に幸す。八年甲午の春の正月に藤原の宮に幸す。冬の十二月庚戌の朔の乙卯に藤原の宮に遷る」といふ。
明日香の宮より藤原の宮に遷りし後に、志貴皇子の作らす歌 51 采女の 袖吹きかへす 明日香風 都を遠み いたづらに吹く 藤原の宮の御井の歌 52 やすみしし 我ご大君 高照らす 日の御子 荒栲の 藤井が原に 大御門 始めたまひて 埴安の 堤の上に あり立たし 見したまへば 大和の 青香具山は 日の経の 大き御門に 春山と 茂みさび立てり 畝傍の この瑞山は 日の緯の 大き御門に 瑞山と 山さびいます 耳成の 青菅山は 背面の 大き御門に よろしなへ 神さび立てり 名ぐはし 吉野の山は 影面の 大き御門ゆ 雲居にぞ 遠くありける 高知るや 天の御蔭 天知るや 日の御蔭の 水こそば とこしへにあらめ 御井の清水 短歌 53 藤原の 大宮仕へ 生れ付くや をとめがともは 羨しきろかも 右の歌は、作者いまだ詳らかにあらず。
大宝元年辛丑の秋の九月に、太上天皇、紀伊の国に幸す時の歌 54 巨勢山の つらつら椿 つらつらに 見つつ偲はな 巨勢の春野を ☆故地 ☆花 右の一首は坂門人足。 55 あさもよし 紀伊人羨しも 真土山 行き来と見らむ 紀伊人羨しも ☆故地 右の一首は調首淡海。 或本の歌 56 川の上の つらつら椿 つらつらに 見れども飽かず 巨勢の春野は 右の一首は春日蔵首老。
二年壬寅に、太上天皇、三河の国に幸す時の歌 57 引馬野に にほふ榛原 入り乱れ 衣にほはせ 旅のしるしに ☆故地 右の一首は長忌寸意吉麻呂。 58 いづくにか 舟泊てすらむ 安礼の崎 漕ぎ廻み行きし 棚なし小舟 ☆故地 右の一首は高市連黒人。 誉謝女王が作る歌 59 流らふる つま吹く風の 寒き夜に 我が背の君は ひとりか寝らむ
長皇子の御歌 60 宵に逢ひて 朝面なみ 名張にか 日長く妹が 廬りせりけむ 舎人娘子、従駕にして作る歌 61 ますらをの さつ矢手挟み 立ち向ひ 射る円方は 見るにさやけし 三野連 名は欠けたり 唐に入る時に、春日蔵首老が作る歌 62 ありねよし 対馬の渡り 海中に 幣取り向けて 早帰り来ね 山上臣憶良、大唐に在る時に、本郷を憶ひて作る歌 63 いざ子ども 早く日本へ 大伴の 御津の浜松 待ち恋ひぬらむ 慶雲三年丙午に、難波の宮に幸す時 志貴皇子の作らす歌 64 葦辺行く 鴨の羽がひに 霜降りて 寒き夕は 大和し思ほゆ ☆花 長皇子の御歌 65 霰打つ 安良礼松原 住吉の 弟日娘子と 見れど飽かぬかも ☆故地
太上天皇、難波の宮に幸す時の歌 66 大伴の 高石の浜の 松が根を 枕き寝れど 家し偲はゆ 右の一首は置始東人。 67 旅にして もの恋しきに 鶴が音も 聞こえずありせば 恋ひて死なまし 右の一首は高安大島。 68 大伴の 御津の浜なる 忘れ貝 家なる妹を 忘れて思へや 右の一首は身人部王。 69 草枕 旅行く君と 知らませば 岸の埴生に にほはさましを 右の一首は清江娘子。長皇子に進る。姓氏いまだ詳らかにあらず。 太上天皇、吉野の宮に幸す時に、高市連黒人が作る歌 70 大和には 鳴きてか来らむ 呼子鳥 象の中山 呼びぞ越ゆなる ☆故地 大行天皇、難波の宮に幸す時の歌 71 大和恋ひ 寐の寝らえぬに 心なく この洲崎みに 鶴鳴くべしや 右の一首は忍坂部乙麻呂。 72 玉藻刈る 沖辺は漕がじ 敷栲の 枕のあたり 念ひかねつも 右の一首は式部卿藤原宇合。
長皇子の御歌 73 我妹子を 早見浜風 大和なる 我れ松椿 吹かざるなゆめ 大行天皇、吉野の宮に幸す時の歌 74 み吉野の 山のあらしの 寒けくに はたや今夜も 我がひとり寝む 右の一首は、或いは「天皇の御製歌」といふ。 75 宇治間山 朝風寒し 旅にして 衣貸すべき 妹もあらなくに 右の一首は長屋王。
和銅元年戊申
天皇にの御製 76 ますらをの 鞆の音すなり 物部の 大臣 楯立つらしも 御名部皇女の和へ奉る御歌 77 我が大君 ものな思ほし 皇神の 継ぎて賜へる 我がなけなくに 和銅三年庚戌の春の二月に、藤原の宮より寧楽の宮に遷る時に、神輿を長屋の原に停め、古郷を廻望て作る歌 一書には「太上天皇の御製」といふ 78 飛ぶ鳥 明日香の里を 置きて去なば 君があたりは 見えずかもあらむ 或本、藤原の京より寧楽の宮に還る時の歌 79 大君の 命畏み にきびにし 家を置き こもりくの 泊瀬の川に 舟浮けて 我が行く川の 川隈の 八十隈おちず 万たび かへり見しつつ 玉桙の 道行き暮らし あをによし 奈良の都の 佐保川に い行き至りて 我が寝たる 衣の上ゆ 朝月夜 さやかに見れば 栲のほに 夜の霜降り 岩床と 川の氷凝り 寒き夜を 休むことなく 通ひつつ 作れる家に 千代までに いませ大君よ 我れも通はむ 反歌 80 あをによし 奈良の家には 万代に 我れも通はむ 忘ると思ふな 右の歌は、作主いまだ詳らかにあらず。
和銅五年壬子の夏の四月に、長田王を伊勢の斎宮に遣はす時に、山辺の御井にして作る歌 81 山辺の 御井を見がてり 神風の 伊勢娘子ども 相見つるかも ☆故地 ☆故地 ☆故地 82 うらさぶる 心さまねし ひさかたの 天のしぐれの 流れ合ふ見れば 83 海の底 沖つ白波 龍田山 いつか超えなむ 妹があたり見む 右の二首は、今案ふるに、御井にして作るところに似ず。けだし、その時に誦む古歌か。
寧楽の宮
長皇子、志貴皇子と佐紀の宮にしてともに宴する歌 84 秋さらば 今も見るごと 妻恋ひに 鹿鳴かむ山ぞ 高野原の上 右の一首は長皇子。 |