巻二 85〜140

萬葉集 巻第二

相聞(さうもん)

難波(なには)高津(たかつ)(みや)(あめ)(した)()らしめす天皇(すめらみこと)(みよ) 大鷦鷯天皇(おほさざきのすめらみこと)(おくりな)して仁徳天皇(にんとくてんわう)といふ

磐姫皇后(いはのひめのおほきさき)天皇(すめらみこと)(しの)ひて作らす歌四首

85 君が行き ()長くなりぬ 山たづね 迎へか行かむ 待ちにか待たむ

右の一首は、山上臣憶良が(るい)(じう)()(りん)()す。

86 かくばかり 恋ひつつあらずは 高山の (いは)()()きて 死なましものを
87 ありつつも 君をば待たむ うち(なび)く 我が黒髪(くろかみ)に 霜の置くまでに
88 秋の田の ()()()らふ (あさ)(かすみ) いつへの(かた)に 我が恋やまむ   

或本の歌に()はく
89 ()()かして 君をば待たむ ぬばたまの 我が黒髪に 霜は降るとも   

右の一首は、古歌集の(うち)に出づ。

古事記に曰はく
軽太子(かるのひつぎのみこ)軽太郎女(かるのおほいらつめ)(たは)く。この(ゆゑ)にその太子を伊予の湯に流す。この時に、衣通王(そとほりのおほきみ)()()()へずして追ひ()く時に、歌ひて曰はく

90 君が行き ()長くなりぬ (やま)たづの 迎へを行かむ 待つには待たじ   
ここに山たづといふは、今の造木(みやつこぎ)をいふ
右の一首の歌は、古事記と(るい)(じう)()(りん)()ふ所同じくあらず、歌の(ぬし)もまた(こと)なり。よりて日本紀に(ただ)すに、曰はく、「難波の高津の宮に天の下知らしめす大鷦鷯天皇(おほさざきのすめらみこと)の二十二年の春の正月に天皇、皇后(おほきさき)に語りて、八田皇(やたのひめみこ)女を(めしい)れて妃とせむとしたまふ。時に、皇后(うけうる)さず。ここに天皇(みうた)よみして皇后に乞ひたまふ云々(しかじか)。三十年の秋の九月乙卯(きのとう)(つきたち)乙丑(きのとうし)に、皇后紀伊()の国に遊行(いでま)して熊野の岬に到りてその処の御綱葉(みつなかしは)を取りて(まゐかへ)る。ここに天皇、皇后の(いま)さぬを(うかか)ひて八田皇女(やたのひめみこ)()して(おほみや)の中に(めしい)れたまふ。時に、皇后難波(なには)(わたり)に到りて、天皇の八田皇女を()しつと聞きて大きに恨みたまふ云々」といふ。また曰はく、「遠つ飛鳥の宮に天の下知らしめす雄朝嬬稚子宿禰天皇(をあさづまわくごのすくねのすめらみこと)の二十三年の春の三月甲午(きのえうま)(つきたち)庚子(かのえね)に、木梨軽皇子(きなしのかるのみこ)を太子となす。容姿(かたち)佳麗(きらきら)しく見る(ひと)おのづからに()づ。同母妹(いろも)軽太娘皇女(かるのおほいらつめのひめみこ)もまた艶妙(かほよ)し云々。つひに(ひそ)かに()ふ。すなはち悒懐(いきどほり)少しく()む。二十四年の夏の六月に、御羹(みあつもの)の汁()りて()となる。天皇(あや)しびてその所由(よし)(うら)へしめたまふ。(うら)()の曰さく、『内の(みだれ)有り。けだしくは親々相(はらがらどちたは)けたるか云々』とまをす。よりて、太娘皇女を伊予に移す」といふ。今(かむが)ふるに、二代二時にこの歌を見ず。

近江(あふみ)大津(おほつ)(みや)(あめ)(した)知らしめす天皇の代 天命開別天皇(あめみことひらかすわけのすめらみこと)(おくりな)して天智(てんじ)天皇(てんわう)といふ

天皇、鏡王女(かがみのおほきみ)に賜ふ御歌一首  
 故地
91 妹が家も 継ぎて見ましを 大和(やまと)なる 大島の()に 家もあらましを

鏡王女(かがみのおほきみ)(こた)(まつ)る御歌一首

92 秋山の ()(した)(がく)り 行く水の 我れこそ増さめ 思ほすよりは

内大臣(うちのおほまへつきみ)藤原卿(ふぢはらのまへつきみ)鏡王女(かがみのおほきみ)(つまど)ふ時に、鏡王女が内大臣に贈る歌一首
93 (たま)(くし)() (おほ)ひを(やす)み 明けていなば 君が名はあれど 我が名し惜しも

内大臣(うちのおほまへつきみ)藤原卿(ふぢはらのまへつきみ)鏡王女(かがみのおほきみ)(こた)へ贈る歌一首
94 (たま)(くし)() みもろの山の さな(かづら) さ()ずはつひに 有りかつましじ   

内大臣(うちのおほまへつきみ)藤原卿(ふぢはらのまへつきみ)采女(うねめ)安見児(やすみこ)(めと)る時に作る歌一首
95 我れはもや (やす)()()得たり (みな)(ひと)の 得かてにすといふ 安見児得たり

久米禅師(くめのぜんじ)石川郎女(いしかはのいらつめ)(つまど)ふ時の歌五首
96 (こも)()る 信濃(しなの)真弓(まゆみ) 我が引かば (うま)(ひと)さびて いなと言はむかも  禅師   
97 み薦刈る 信濃の真弓(まゆみ) 引かずして ()はくるわざを 知ると言はなくに  郎女
98 (あづさ)(ゆみ) 引かばまにまに 寄らめども (のち)の心を 知りかてぬかも  郎女
99 (あずさ)(ゆみ) 弦緒(つらを)取りはけ 引く人は (のち)の心を 知る人ぞ引く  禅師
100 (あずま)(ひと)の ()(さき)の箱の ()()にも (いも)は心に 乗りにけるかも  禅師

大伴宿禰(おほとものすくね)巨勢郎女(こせのいらつめ)(つまど)ふ時の歌一首
大伴宿禰、(いみな)安麻呂(やすまろ)といふ。難波(なには)(みかど)右大臣(みぎのおほまへつきみ)大紫(だいし)大伴長徳卿(おほとものながとこのまへつきみ)が第六子、平城(なら)(みかど)に大納言兼大将軍に()けらえて(こう)

101 (たま)(かづら) ()ならぬ木には ちはやぶる 神ぞつくとふ ならぬ木ごとに

巨勢郎女(こせのいらつめ)(こた)へ贈る歌一首 すなはち近江(あふみ)(みかど)の大納言巨勢人卿(こせのひとのまへつきみ)(むすめ)なり
102 (たま)(かづら) 花のみ咲きて ならざるは ()が恋ならめ 我は恋ひ思ふを

明日香(あすか)(きよ)()(はら)(みや)(あめ)(した)知らしめす天皇の代 天渟中原瀛真人天皇(あまのぬなはらおきのまひとのすめらみこと)(おくりな)して天武天皇(てんむてんわう)といふ

天皇、藤原夫人(ふぢはらのぶにん)に賜ふ御歌一首

103 我が里に 大雪(おほゆき)降れり 大原(おほはら)の ()りにし里に 降らまくは

(のち)藤原夫人、(こた)(まつ)る歌一首
104 我が岡の おかみに言ひて 降らしめし 雪のくだけし そこに散りけ

( )藤原(ふぢはら)(みや)(あめ)(した)知らしめす天皇の代 高天原広野姫天皇(たかまのはらひろのひめのすめらみこと)(おくりな)して持統天皇といふ。元年丁亥(ひのとい)の十一年に位を軽太子(かるのひつぎのみこ)に譲り、尊号を太上天皇(おほきすめらみこと)といふ

大津皇子(おほつのみこ)(ひそ)かに伊勢の神宮(くだ)りて、(のぼ)()る時に、大伯皇女(おほくのひめみこ)の作らす歌二首   
故地

105 我が()()を 大和(やまと)()ると さ()()けて 暁露(あかときつゆ)に 我が立ち()れし
106 ふたり()けど 行き過ぎかたき 秋山を いかにか君が ひとり()ゆらむ

大津皇子(おほつのみこ)石川郎女(いしかはのいらつめ)に贈る御歌一首
107 あしひきの 山のしづくに (いも)待つと 我れ立ち()れぬ 山のしづくに

石川郎女(いしかはのいらつめ)(こた)(まつ)る歌一首
108 ()を待つと 君が()れけむ あしひきの 山のしづくに ならましものを

大津皇子(おほつのみこ)(ひそ)かに石川郎女(いしかはのいらつめ)()ふ時、津守連通(つもりのむらじとほる)その事を(うら)(あら)はすに、皇子の作りましし御歌一首
109 大船(おほぶね)の ()(もり)(うら)に ()らむとは まさしに知りて 我がふたり寝し

日並皇子尊(ひなみしのみこのみこと)石川郎女(いしかはのいらつめ)に贈り賜ふ御歌一首 女郎、(あざな)大名児(おおなこ)といふ
110 大名児(おほなこ)を 彼方(をちかた)野辺(のへ)に 刈る(かや)の (つか)(あひだ)も 我れ忘れめや

吉野の宮に(いで)す時に、弓削皇子(ゆげのみこ)額田王(ぬかたのおほきみ)贈与(おく)る歌一首   故地
111 いにしへに 恋ふる鳥かも 弓弦葉(ゆづるは)の ()()(うへ)より 鳴き渡り行く   

額田王(こた)(まつ)る歌一首  (やまと)の京より(たてまつ)り入る
112 いにしへに ()ふらむ鳥は ほととぎす けだしや鳴きし 我が()ふるごと

吉野より(こけ)()す松が()を折り取りて(おく)る時に、額田王(ぬかたのおほきみ)(たてまつ)り入るる歌一首
113 み吉野の 玉(まつ)()は はしきかも 君が()(こと)を 持ちて(かよ)はく

但馬皇女(たぢまのひめみこ)高市皇子(たけちのみこ)の宮に(いま)す時に、 穂積皇子(ほづみのみこ)(しの)ひて作らす歌一首
114 秋の田の ()()きの寄れる (かた)()りに 君に寄りなな 言痛(こちた)ありとも   

穂積皇子(ほづみのみこ)(みことのり)して、近江(あふみ)志賀の山寺(つか)はす時に、但馬皇女(たぢまのひめみこ)の作らす歌一首   故地
115 (おく)()て 恋ひつつあらずは 追ひ()かむ 道の(くま)みに (しめ)()へ我が(

)但馬皇女(たぢまのにめみこ)高市皇子(たけちのみこ)の宮に(いま)す時に、(ひそ)かに穂積皇子(ほづみのみこ)()ひ、事すでに(あら)はれて作らす歌一首
116 (ひと)(ごと)を (しげ)言痛(こちた)み おのが世に いまだ渡らぬ (あさ)(かは)渡る

舎人皇子(とねりのみこ)の御歌一首
117 ますらをや 片恋(かたこひ)せむと 嘆けども (しこ)のますらを なほ恋ひにけり

舎人娘子(とねりのをとめ)(こた)(まつ)る歌一首
118 嘆きつつ ますらをのこの ()ふれこそ 我が()ふ髪の ()ちてぬれけれ

弓削皇子(ゆげのみこ)紀皇女(きのひめみこ)(しの)ふ御歌四首
119 吉野(よしの)(かは) 行く瀬を早み しましくも (よど)むことなく ありこせぬかも
120 我妹子(わぎもこ)に 恋ひつつあらずは (あき)(はぎ)の 咲きて散りぬる 花にあらましを   
121 (ゆう)さらば (しお)()()なむ 住吉(すみよし)の (あさ)()(うら)に (たま)()()りてな
122 大船(おほぶね)の ()つる(とま)りの たゆたひに 物()()せぬ 人の子(ゆゑ)

三方沙弥(みかたのさみ)園臣生羽(そののおみいくは)(むすめ)(めと)りて、(いく)()も経ねば、病に()して作る歌三首
123 たけばぬれ たかねば長き (いも)(かみ) このころ見ぬに ()き入れつらむか  三方沙弥
124 (みな)は 今は長しと たけと言へど 君が見し(かみ) 乱れたりとも  娘子
125 (たちばな)の (かげ)()む道の 八衢(やちまた)に 物をぞ思ふ (いも)に逢はずして  三方沙弥

石川郎女(いしかはのいらつめ)大伴宿禰田主(おほとものすくねたぬし)に贈る歌一首 すなはち佐保(さほ)大納言大伴卿の第二子、母を巨勢朝臣(こせのあそみ)といふ
126 風流士(みやびを)と 我れは聞けるを やど貸さず 我れを帰せり おその風流士(みやびを)

大伴田主(おほとものたぬし)(あざな)仲郎(ちうらう)といふ。容姿(ようし)佳艶(かえん)、風流秀絶、見る人聞く人、嘆息せずといふことなし。時に、石川郎女といふひと有り。みづから雙栖(さうせい)(おもひ)を成し、つねに独守(どくしゆ)(かたき)を悲しぶ。(こころ)に書を寄せむと(おも)へども良信(りやうしん)に逢はず。ここに方便(はうべん)()して、(いや)しき(おみな)に似せ、おのれ(なべ)()げて(ねや)(かたはら)に到り、哽音(かうおん)?足(ちやくそく)し戸を叩きて(はか)りて曰はく、「東隣の貧しき女、火を取らむとして(きた)る」といふ。ここに、仲郎、暗き(うち)冒隠(ぼういん)の形を()らず、(おもひ)(ほか)拘接(こうせふ)(はかりごと)()へず。(おもひ)のまにまに火を取り、(あと)に就きて帰り去らしむ。明けて(のち)に、郎女、すでに自媒(じばい)()づべきことを恥ぢ、また心契(しんけい)(みの)らぬことを恨む。よりて、この歌を作りて謔戯(きやくき)を贈る。

大伴宿禰田主(おほとものすくねたぬし)(こた)へ贈る歌一首
127 風流士(みやびを)に 我れはありけり やど貸さず 帰しし我れぞ 風流士にはある

同じ石川郎女(いしかはのいらつめ)、さらに大伴田主仲郎(おほとものたぬしちうろう)に贈る歌一首
128 我が聞きし 耳によく似る (あし)(うれ)の (あし)ひく我が() つとめ()ぶべし   

右は、仲郎の(あし)(やまひ)に依りて、この歌を贈りて問訊(とぶら)へるぞ。

大津皇子(おほつのみこ)の宮の(まかだち)石川郎女(いしかはのいらつめ)大伴宿禰宿奈麻呂(おほとものすくねすくなまろ)に贈る歌一首 郎女、(あざな)を山田郎女といふ。宿奈麻呂宿禰は、大納言兼大将軍の卿が第三子なり
129 ()りにし (おみな)にしてや かくばかり 恋に沈まむ たわらはのごと

長皇子(ながのみこ)、皇弟に(おく)る御歌一首
130 丹生(にふ)の川 瀬は渡らずて ゆくゆくと (こひ)()し我が背 いで(かよ)()

柿本朝臣人麻呂、石見(いはみ)の国より妻に別れて(のぼ)り来る時の歌二首并せて短歌
131 石見(いはみ)(うみ) (つの)(うら)みを 浦なしと 人こそ見らめ (かた)なしと 人こそ見らめ よしゑやし 浦はなくとも よしゑやし (かた)はなくとも 鯨魚(いさな)()り 海辺(うみへ)を指して 和田(にきた)()の 荒磯(ありそ)(うへ)に か(あを)()ふる (たま)() 沖つ藻 (あさ)()()る 風こそ寄らめ (ゆふ)羽振る 波こそ()寄れ 波の(むた) か寄りかく寄る 玉藻なす 寄り寝し妹を (つゆ)(しも)の 置きてし()れば この道の 八十(やそ)(くま)ごとに (よろづ)たび かへり見すれど いや(とほ)に 里は(さか)りぬ いや(たか)に 山も越え来ぬ 夏草(なつくさ)の 思ひ(しな)えて (しの)ふらむ 妹が(かど)見む (なび)けこの山   故地

反歌二首
132 (いは)()のや (たか)(つの)(やま)の ()()より 我が振る袖を (いも)見つらむか   故地
133 (ささ)の葉は み山もさやに さやけども 我れは妹思ふ 別れ()ぬれば   

或本の反歌に曰はく
134 石見(いはみ)にある (たか)(つの)(やま)の ()()ゆも 我が袖振るを 妹見けむかも

135つのさはふ 石見(いはみ)の海の (こと)さへく (から)の崎なる 海石(いくり)にぞ 深海松(ふかみる)()ふる 荒磯(ありそ)にぞ (たま)()は生ふる 玉藻なす (なび)き寝し子を 深海松の 深めて思へど さ寝し()は 幾時(いくだ)もあらず ()(つた)の 別れし来れば (きも)(むか)ふ 心を痛み 思ひつつ かへり見すれど 大船(おおぶね)の (わたり)の山の 黄葉(もみちば)の 散りの(まが)ひに (いも)が袖 さやにも見えず 妻ごもる ()(かみ)の山の 雲間より 渡らふ月の 惜しけども (かく)らひ来れば (あま)(づた)ふ 入日さしぬれ ますらをと 思へる我れも (しき)(たへ)の (ころも)の袖は 通りて濡れぬ   故地 

反歌二首
136 (あを)(こま)が ()()きを(はや)み (くも)()にぞ (いも)があたりを 過ぎて来にける
137 秋山に 散らふ黄葉(もみちば) しましくは な散り(まが)ひそ (いも)があたり見む

或本の歌一首 (あは)せて短歌
138 石見(いはみ)(うみ) ()(うら)をなみ 浦なしと 人こそ見らめ (かた)なしと 人こそ見らめ よしゑやし 浦はなくとも よしゑやし 潟はなくとも ( いさな)魚取り (うみ)()を指して 和田(にき)()の (あり)()(うへ)に か(あを)()ふる (たま)()沖つ藻 明け()れば 波こそ来寄れ (ゆふ)されば 風こそ来寄れ 波の(むた) か寄りかく寄る 玉藻なす (なび)き我が寝し (しき)(たへ)の 妹が手本(たもと)を (つゆ)(しも)の 置きてし()れば この道の 八十(やそ)(くま)ごとに (よろづ)たび かへり見すれど いや(とほ)に 里(さか)()ぬ いや(たか)に ()も越え来ぬ はしきやし 我が妻の子が 夏草(なつくさ)の 思ひ(しな)えて 嘆くたむ (つの)の里見む 靡けこの山

反歌一首
139 石見(いはみ)(うみ) 打歌(うつた)の山の ()()より 我が振る袖を 妹見つらむか

柿本朝臣人麻呂が妻依羅娘子(よさみのをとめ)、人麻呂と相別るる歌一首   故地
140 な思ひと 君は言へども 逢はむ時 いつと知りてか 我が恋ひずあらむ

←前頁へ   次頁へ→

「万葉集 総覧」へ戻る

「万葉集を携えて」へ戻る

inserted by FC2 system