右の二首
3113 ありありて 後も逢はむと 言のみを 堅く言ひつつ 逢ふとはなしに
3114 ありありて 我れも逢はむと 思へども 人の言こそ 繁き君にあれ
右の二首
3115 息の緒に 我が息づきし 妹すらを 人妻なりと 聞けば悲しも
3116 我がゆゑに いたくなわびそ 後つひに 逢はじと言ひし こともあらなくに
右の二首
3117 門立てて 戸も閉してあるを いづくゆか 妹が入り来て 夢に見えつる
3118 門立てて 戸は閉したれど 盗人の 穿れる穴より 入りて見えけむ
右の二首
3119 明日よりは 恋ひつつ行かむ 今夜だに 早く宵より 紐解け我妹
3120 今さらに 寝めや我が背子 新夜の 一夜もおちず 夢に見えこそ
右の二首
3121 我が背子が 使を待つと 笠も着ず 出でつつぞ見し 雨の降らくに
3122 心なき 雨にもあるか 人目守り 乏しき妹に 今日だに逢はむを
右の二首
3123 ただひとり 寝れど寝かねて 白栲の 袖を笠に着 濡れつつぞ来し
3124 雨も降る 夜も更けにけり 今さらに 君去なめやも 紐解き設けな
右の二首
3125 ひさかたの 雨の降る日を 我が門に 蓑笠着ずて 来る人や誰れ
3126 巻向の 穴師の山に 雲居つつ 雨は降れども 濡れつつぞ来し
右の二首
羈旅発思
3127 度会の 大川の辺の 若久木 我が久ならば 妹恋ひむかも ☆花
3128 我妹子や 夢に見え来と 大和道の 渡り瀬ごとに 手向けぞ我がする
3129 桜花 咲きかも散ると 見るまでに 誰れかもここに 見えて散り行く ☆花
3130 豊国の 企救の浜松 ねもころに 何しか妹に 相言ひそめけむ ☆故地
右の四首は、柿本朝臣人麻呂が歌集に出づ
3131 月変へて 君をば見むと 思へかも 日も変へずして 恋の繁けむ
3132 な行きそと 帰りも来やと かへり見に 行けど帰らず 道の長手を
3133 旅にして 妹を思ひ出で いちしろく 人の知るべく 嘆きせむかも
3134 里離り 遠くあらなくに 草枕 旅とし思へば なほ恋ひにけり
3135 近くあれば 名のみも聞きて 慰めつ 今夜ゆ恋の いやまさりなむ
3136 旅にありて 恋ふれば苦し いつしかも 都に行きて 君は目を見む
3137 遠くあれば 姿は見えず 常のごと 妹が笑まひは 面影にして
3138 年も経ず 帰り来なむと 朝影に 待つらむ妹し 面影に見ゆ
3139 玉桙の 道に出で立ち 別れ来し 日より思ふに 忘る時なし
3140 はしきやし しかある恋にも ありしかも 君に後れて 恋しき思へば
3141 草枕 旅の悲しく あるなへに 妹を相見て 後恋ひむかも
3142 国遠み 直には逢はず 夢にだに 我れに見えこそ 逢はむ日までに
3143 かく恋ひむ ものと知りせば 我妹子に 言とはましを 今し悔しも
3144 旅の夜の 久しくなれば さ丹つらふ 紐解き放けず 恋ふるこのころ
3145 我妹子し 我を偲ふらし 草枕 旅のまろ寝に 下紐解けぬ
3146 草枕 旅の衣の 紐解けて 思ほゆるかも この年ころは
3147 草枕 旅の紐解く 家の妹し 我を待ちかねて 嘆かふらしも
3148 玉釧 まき寝し妹を 月も経ず 置きてや越えむ この山の崎
3149 梓弓 末は知らねど 愛しみ 君にたぐひて 山道越え来ぬ
3150 霞立つ 春の長日を 奥処なく 知らぬ山道を 恋ひつつか来む
3151 外のみに 君を相見て 木綿畳 手向けの山を 明日か越え去なむ
3152 玉かつま 安倍島山の 夕露に 旅寝えせめや 長きこの夜を
3153 み雪降る 越の大山 行き過ぎて いづれの日にか 我が里を見む
3154 いで我が駒 早く行きこそ 真土山 待つらむ妹を 行きて早見む ☆故地
3155 悪木山 木末ことごと 明日よりは 靡きてありこそ 妹があたり見む
3156 鈴鹿川 八十瀬渡りて 誰がゆゑか 夜越えに越えむ 妻もあらなくに
3157 我妹子に またも近江の 安の川 安寐も寝ずに 恋ひわたるかも ☆故地
3158 旅にありて 物をぞ思ふ 白波の 辺にも沖にも 寄るとはなしに
3159 港みに 満ち来る潮の いや増しに 恋はあまれど 忘らえぬかも
3160 沖つ波 辺波の来寄る 左太の浦の このさだ過ぎて 後恋ひむかも
3161 在千潟 あり慰めて 行かめども 家なる妹い いふかしみせむ
3162 みをつくし 心尽して 思へかも ここにももとな 夢にし見ゆる
3163 我妹子に 触るとはなしに 荒磯みに 我が衣手は 濡れにけるかも
3164 室の浦の 瀬戸の崎なる 鳴島の 磯越す波に 濡れにけるかも ☆故地
3165 ほととぎす 飛幡の浦に しく波の しくしく君を 見むよしもがも ☆故地
3166 我妹子を 外のみや見む 越の海の 子難の海の 島ならなくに
3167 波の間ゆ 雲居に見ゆる 粟島の 逢はぬものゆゑ 我に寄そる子ら
3168 衣手の 真若の浦の 真砂地 間なく時なし 我が恋ふらくは ☆故地
3169 能登の海に 釣りする海人の 漁り火の 光にいませ 月待ちがてり
3170 志賀の海人の 釣りし燭せる 漁り火の ほのかに妹を 見むよしもがも
3171 難波潟 漕ぎ出る舟の はろはろに 別れ来ぬれど 忘れかねつも
3172 浦み漕ぐ 熊野舟つき めづらしく 懸けて思はぬ 月も日もなし
3173 松浦舟 騒く堀江の 水脈早み 楫取る間なく 思ほゆるかも
3174 漁りする 海人の楫音 ゆくらかに 妹は心に 乗りにけるかも
3175 若の浦に 袖さへ濡れて 忘れ貝 拾へど妹は 忘らえなくに ☆故地
3176 草枕 旅にし居れば 刈り薦の 乱れて妹に 恋ひぬ日はなし
3177 志賀の海人の 磯に刈り干す なのりその 名は告りてしを 何か逢ひかたき
3178 国遠み 思ひなわびそ 風の共 雲の行くごと 言は通はむ
3179 留まりにし 人を思ふに 秋津野に 居る白雲の やむ時もなし
悲別歌
3180 うらもなく 去にし君ゆゑ 朝な朝な もとなぞ恋ふる 逢ふとはなけど
3181 白栲の 君が下紐 我れさへに 今日結びてな 逢はむ日のため
3182 白栲の 袖の別れは 惜しけども 思ひ乱れて 許しつるかも
3183 都辺に 君は去にしを 誰が解けか 我が紐の緒の 結ふ手たゆきも
3184 草枕 旅行く君を 人目多み 袖振らずして あまた悔しも
3185 まそ鏡 手に取り持ちて 見れど飽かぬ 君に後れて 生けりともなし
3186 曇り夜の たどきも知らぬ 山越えて います君をば いつとか待たむ
3187 たたなづく 青垣山の へなりなば しばしば君を 言とはじかも
3188 朝霞 たなびく山を 越えていなば 我れは恋ひなむ 逢はむ日までに
3189 あしひきの 山は百重に 隠すとも 妹は忘れじ 直に逢ふまでに
3190 雲居なる 海山超えて い行きなば 我れは恋ひなむ 後は逢ひぬとも
3191 よしゑやし 恋ひじとすれど 木綿間山 越えにし君が 思ほゆらくに
3192 草陰の 荒藺の崎の 笠島を 見つつか君が 山道越ゆらむ
3193 玉かつま 島熊山の 夕暮れに ひとりか君が 山道越ゆらむ
3194 息の緒に 我が思ふ君は 鶏が鳴く 東の坂を 今日か越ゆらむ
3195 磐城山 直越え来ませ 磯崎の 許奴美の浜に 我れ立ち待たむ ☆故地
3196 春日野の 浅茅が原に 後れ居て 時ぞともなし 我が恋ふらくは ☆花
3197 住吉の 岸に向へる 淡路島 あはれと君を 言はぬ日はなし
3198 明日よりは いなむの川の 出でていなば 留まれる我れは 恋ひつつやあらむ
3199 海の底 沖は畏し 磯みより 漕ぎ廻みいませ 月は経ぬとも
3200 飼飯の浦に 寄する白波 しくしくに 妹が姿は 思ほゆるかも
3201 時つ風 吹の浜に 出で居つつ 贖ふ命は 妹がためこそ
3202 熟田津に 船乗りせむと 聞きしなへ 何ぞも君が 見え来ずあるらむ
3203 みさご居る 洲に居る舟の 漕ぎ出なば うら恋しけむ 後は逢ひぬとも
3204 玉葛 幸くいまさね 山菅の 思ひ乱れて 恋ひつつ待たむ ☆花
3205 後れ居て 恋ひつつあらずは 田子の浦の 海人ならましを 玉藻刈る刈る
3206 筑紫道の 荒磯の玉藻 刈るとかも 君が久しく 待てど来まさぬ
3207 あらたまの 年の緒長く 照る月の 飽かざる君や 明日別れなむ
3208 久にあらむ 君を思ふに ひさかたの 清き月夜も 闇の夜に見ゆ
3209 春日にある 御笠の山に 居る雲を 出で見るごとに 君をしぞ思ふ
3210 あしひきの 片山雉 立ち行かむ 君に後れて うつしけめやも
問答歌
3211 玉の緒の 現し心や 八十楫懸け 漕ぎ出む船に 後れて居らむ
3212 八十楫懸け 島隠りなば 我妹子が 留まれと振らむ 袖見えじかも
右の二首
3213 十月 しぐれの雨に 濡れつつか 君が行くらむ 宿か借るらむ
3214 十月 雨間も置かず 降りにせば いづれの里の 宿は借らまし
右の二首
3215 白栲の 袖の別れを 難みして 荒津の浜に 宿りするかも ☆故地
3216 草枕 旅行く君を 荒津まで 送りぞ来ぬる 飽き足らねこそ
右の二首
3217 荒津の海 我れ幣奉り 斎ひてむ 早帰りませ 面変りせず
3218 朝な朝な 筑紫の方を 出で見つつ 音のみぞ我が泣く いたもすべなみ
右の二首
3219 豊国の 企救の長浜 行き暮らし 日の暮れゆけば 妹をしぞ思ふ ☆故地
3220 豊国の 企救の高浜 高々に 君待つ夜らは さ夜更けにけり
右の二首