巻十二 2964〜3100

寄物(きぶつ)陳思(ちんし)

2964 かくのみに ありける君を (きぬ)にあらば 下にも着むと 我が思へりける
2965 (つるはみ)の (あわせ)(ころも) (うら)にせば 我れ()ひめやも 君が来まさむ   
2966 (くれなゐ)の (うす)()(ころも) (あさ)らかに (あひ)()し人に 恋ふるころかも
2967 年の()ば 見つつ(しの)へと (いも)が言ひし (ころも)縫目(ぬひめ) 見れば悲しも
2968 (つるはみ)の (ひと)()(ころも) うらもなく あるらむ子ゆゑ 恋ひわたるかも
2969 ()(きぬ)の 思ひ乱れて 恋ふれども 何のゆゑぞと 問ふ人もなし
2970 ()()()めの 浅らの(ころも) 浅らかに 思ひて妹に 逢はむものかも   
2971 大君(おほきみ)の 塩焼く()()の (ふぢ)(ころも) なれはすれども いやめづらしも
2972 (あか)(きぬ)の (ひた)(うら)(きぬ) 長く()り 我が思ふ君が 見えぬころかも
2973 ()(たま)つく をちこち()ねて 結びつる 我が(した)(ひも)の ()くる日あらめや
2974 (むらさき)の (おび)の結びも ()きもみず もとなや(いも)に 恋ひわたりなむ
2975 高麗錦(こまにしき) (ひも)の結びも ()()けず いはひて待てど (しるし)なきかも
2976 (むらさき)の 我が(した)(ひも)の 色に()でず 恋ひかも()せむ 逢ふよしをなみ
2977 何ゆゑか 思はずあらむ (ひも)()の 心に入りて 恋しきものを
2978 まそ鏡 見ませ我が()() 我が形見(かたみ) 持てらむ時に 逢はざらめやも
2979 まそ鏡 (ただ)()に君を 見てばこそ (いのち)(むか)ふ 我が恋やまめ
2980 まそ鏡 見飽(みあ)かぬ(いも)に 逢はずして 月の()ゆけば 生けりともなし
2981 (はふり)らが いつくみもろの まそ鏡 ()けて(しの)ひつ 逢ふ人ごとに
2982 針はあれど (いも)になければ 付けめやと 我れを悩まし 絶ゆる(ひも)()
2983 高麗剣(こまつるぎ) 我が心から (よそ)のみに 見つつや君を 恋ひわたりなむ
2984 剣大刀(つるぎたち) 名の()しけくも 我れはなし このころの()の 恋の(しげ)きに
2985 梓弓(あづさゆみ) (すゑ)はし知らず しかれども まさかは君に 寄りにしものを
一本の歌に()はく 梓弓(あづさゆみ) (すゑ)のたづきは 知らねども 心は君に 寄りにしものを
2986 梓弓(あづさゆみ) 引きみ(ゆる)へみ 思ひみて すでに心は 寄りにしものを
2987 梓弓(あづさゆみ) 引きて(ゆる)へぬ ますらをや (こひ)といふものを (しの)びかねてむ
2988 梓弓(あづさゆみ) (すゑ)(なか)ためて (よど)めりし 君には逢ひぬ 嘆きはやめむ
2989 (いま)さらに (なに)をか()はむ 梓弓(あづさゆみ) 引きみ(ゆる)へみ 寄りにしものを
2990 娘子(をとめ)らが ()()のたたり 打ち()()け うむ時なしに 恋ひわたるかも
2991 たらちねの 母が()()の (まよ)(ごも)り いぶせくもあるか (いも)に逢はずして
2992 玉たすき ()けねば苦し 懸けたれば ()ぎて見まくの ()しき君かも
2993 紫の まだらのかづら 花やかに 今日(けふ)見し人に (のち)恋ひむかも
2994 (たま)(かづら) ()けぬ時なく 恋ふれども 何しか(いも)に 逢ふ時もなき
2995 逢ふよしの ()でくるまでは 畳薦(たたみこも) (へだ)()(かず) (いめ)にし見えむ
2996 しらかつく ()綿()は花もの (こと)こそば いつのまさかも (つね)忘らえね
2997 石上(いそのかみ) ()()高橋(たかはし) (たか)々に (いも)が待つらむ ()()けにける   故地
2998 (みなと)入りの (あし)()小舟(をぶね) (さは)り多み 今()む我れを (よど)むと思ふな   
或本の歌に()はく (みなと)入りに (あし)()小舟(をぶね) (さは)り多み 君に逢はずて 年ぞ()にける
2999 水を多み 上田(あげ)(たね)()き (ひえ)を多み ()らえし(わざ)ぞ 我がひとり()
3000 (たま)()へば (あひ)()るものを ()山田(やまだ)の 鹿()()()()るごと 母し守らすも
3001 春日(かすが)()に 照れる夕日(ゆふひ)の (よそ)のみに 君を(あひ)()て 今ぞ(くや)しき
3002 あしひきの 山より()づる 月待つと 人には言ひて (いも)待つ我れを
3003 (ゆふ)月夜(づくよ) 暁闇(あかときやみ)の おほほしく 見し人ゆゑに 恋ひわたるかも
3004 ひさかたの (あま)つみ空に 照る月の ()せなむ日こそ 我が恋()まめ
3005 十五日(もちのひ)に ()でにし月の 高々(たかたか)に 君をいませて 何をか思はむ
3006 月夜(つくよ)よみ (かど)()で立ち (あし)(うら)して 行く時さへや (いも)に逢はずあらむ
3007 ぬばたまの ()(わた)る月の さやけくは よく見てましを 君が姿を
3008 あしひきの 山を()(だか)み 夕月を いつかと君を 待つが苦しさ
3009 (つるはみ)の (きぬ)()き洗ひ ()(つち)(やま) (もと)つ人には なほしかずけり   故地 
3010 佐保(さほ)(がは)の 川波立たず 静けくも 君にたぐひて 明日(あす)さへもがも   故地
3011 我妹子(わぎもこ)に (ころも)春日(かすが)の (よし)()(がは) よしもあらぬか (いも)が目を見む
3012 との(くも)り 雨()()(かは)の さざれ波 ()なくも君は 思ほゆるかも   故地
3013 我妹子(わぎもこ)や 我を忘らすな 石上(いそのかみ) (そで)()()(かは)の ()えむと思へや
3014 三輪(みわ)(やま)の 山下(とよ)み 行く水の 水脈(みを)し絶えずは (のち)も我が妻   故地
3015 (かみ)のごと 聞こゆる滝の 白波の (おも)知る君が 見えぬこのころ
3016 山川の 滝にまされる 恋すとぞ 人知りにける ()なくし思へば
3017 あしひきの 山川(みづ)の (おと)()でず 人の子ゆゑに 恋ひわたるかも
3018 (たか)()なる 能登(のと)()の川の (のち)も逢はむ (いも)には我れは 今にあらずとも
3019 (あら)(きぬ) 取替(とりかひ)(かは)の (かは)(よど)の 淀まむ心 思ひかねつも
3020 斑鳩(いかるが)の (よる)()の池の よろしくも 君を言はねば 思ひぞ我がする
3021 (こも)()の (した)ゆは恋ひむ いちしろく 人の知るべく 嘆きせめやも
3022 ゆくへなみ (こも)れる小沼(をぬ)の 下思(したもひ)に 我れぞ物思ふ このころの(あひだ)
3023 (こも)()の (した)ゆ恋ひあまり 白波の いちしろく()でぬ 人の知るべく
3024 (いも)が目を 見まく堀江(ほりえ)の さざれ波 しきて恋ひつつ ありと()げこそ
3025 (いは)(ばし)る 垂水(たるみ)の水の はしきやし 君に恋ふらく 我が心から
3026 君は()ず 我れは(ゆゑ)なみ 立つ波の しるくしわびし かくて()じとや
3027 淡海(あふみ)(うみ) (へた)は人知る 沖つ波 君をおきては 知る人もなし   故地
3028 (おほ)(うみ)の 底を深めて 結びてし (いも)が心は うたがひもなし
3029 ()()の浦に 寄する白波 (あひだ)なく 思ふを何か (いも)に逢ひかたき
3030 思ひ()でて すべなき時は (あま)(くも)の (おく)()も知らず 恋ひつつぞ()
3031 (あま)(くも)の たゆたひやすき 心あらば 我をな頼めぞ 待たば苦しも
3032 君があたり 見つつも()らむ 生駒(いこま)(やま) 雲なたなびき 雨は降るとも   故地
3033 なかなかに 何か知りけむ 我が山に 燃ゆる(けぶり)の (よそ)に見ましを
3034 我妹子(わぎもこ)に 恋ひすべながり 胸を(あつ)み (あさ)()()くれば 見ゆる霧かも
3035 (あかとき)の (あさ)(ぎり)(ごも)り かへらばに 何しか恋の 色に出でにける
3036 思ひ()づる 時はすべなみ 佐保(さほ)(やま)に 立つ(あま)(ぎり)の ()ぬべく思ほゆ
3037 (きり)()(やま) 行き返り()の 朝霞(あさがすみ) ほのかにだにや (いも)に逢はざらむ
3038 かく恋ひむ ものと知りせば (ゆふへ)置きて (あした)()ぬる 露ならましを
3039 (ゆふへ)置きて (あした)()ぬる 白露の ()ぬべき恋も 我れはするかも
3040 (のち)つひに (いも)は逢はむと 朝露の 命は()けり 恋は(しげ)けど
3041 (あさ)()な 草の(うへ)白く 置く露の ()なばともにと 言ひし君はも
3042 朝日さす 春日(かすが)の小野に 置く露の ()ぬべき我が身 ()しけくもなし
3043 (つゆ)(しも)の ()やすき我が身 老いぬとも またをちかへり 君をし待たむ
3044 君待つと 庭のみ()れば うち(なび)く 我が黒髪に 霜ぞ置きにける
3045 (あさ)(しも)の ()ぬべくのみや 時なしに 思ひわたらむ (いき)()にして
3046 楽浪(ささなみ)の 波越す安?に 降る小雨(こさめ) (あひだ)も置きて 我が思はなくに
3047 (かむ)さびて (いわほ)()ふる (まつ)()の 君が心は 忘れかねつも
3048 (かり)する (かり)()の小野の (なら)(しば)の なれはまさらず 恋こそまされ
3049 (さくら)()の ()()(した)(くさ) 早く()ひば (いも)(した)(びも) 解かずあらましを
3050 春日野に (あさ)()(しめ)()ひ 絶えめやと 我が思ふ人は いや(とほ)(なが)   
3051 あしひきの (やま)(すが)の根の ねもころに 我れはぞ恋ふる 君が姿に   
3052 かきつはた ()()(さは)()ふる (すが)の根の ()ゆとや君が 見えぬこのころ    故地 
3053 あしひきの (やま)(すが)の根の ねもころに やまず思はば 妹に逢はむかも
3054 (あひ)(おも)はず あるものをかも (すが)の根の ねもころごろに 我が思へるらむ
3055 (やま)(すげ)の やまずて君を 思へかも 我が心どの このころはなき
3056 (いも)(かど) 行き過ぎかねて 草結ぶ 風吹き解くな またかへり見む
3057 (あさ)()(はら) ()()に足踏み 心ぐみ 我が思ふ子らが 家のあたり見つ
3058 うちひさす 宮にはあれど 月草(つきくさ)の うつろふ心 我が思はなくに   
3059 (もも)()に 人は言ふとも (つき)(くさ)の うつろふ心 我れもためやも
3060 (わす)(ぐさ) 我が(ひも)に付く 時となく 思ひわたれば ()けりともなし   
3061 (あかとき)の ()()ましくさと これをだに 見つついまして 我れを(しの)はせ
3062 (わす)(ぐさ) 垣もしみみに 植ゑたれど (しこ)(しこ)(くさ) なほ恋ひにけり
3063 (あさ)()(はら) 小野に(しめ)()ふ (むな)(こと)も 逢はむと聞こせ 恋のなぐさに
或本の歌には「来むと知らせし 君をし待たむ」といふ。また、柿本朝臣人麻呂が歌集に見ゆ。(しか)れども(らく)()少しく異なるのみ。
3064 人皆の 笠に()ふといふ 有馬(ありま)(すげ) ありて(のち)にも 逢はむとぞ思ふ
3065 み吉野の (あき)()の小野に 刈る(かや)の 思ひ乱れて ()()しぞ多き
3066 妹待つと ()(かさ)の山の (やま)(すげ)の やまずや恋ひむ 命死なずは
3067 (せば)み (みね)()()へる (たま)(かづら) ()へてしあらば 年に()ずとも
3068 (みづ)(くき)の 岡の(くず)()を 吹きかへし (おも)知る子らが 見えぬころかも   
3069 (あか)(ごま)の い行きはばかる ()(くず)(はら) 何の()(こと) (ただ)にしよけむ
3070 ()綿()(たたみ) (たな)(かみ)(やま)の さな(かづら) ありさりてしも 今ならずとも   故地 
3071 丹波(たには)()の 大江(おほえ)の山の さな(かづら) ()えむの心 我が思はなくに
3072 大崎(おほさき)の (あり)()の渡り ()(くず)の ゆくへもなくや 恋ひわたりなむ   故地
3073 ()綿()(づつ)み (しら)(つき)(やま)の さな(かづら) (のち)もかならず 逢はむとぞ思ふ
3074 はねず(いろ)の うつろひやすき 心あらば 年をぞ()()る (こと)()えずて   
3075 かくしてぞ 人は死ぬとふ (ふぢ)(なみ)の ただ(ひと)()のみ 見し人ゆゑに   
3076 住吉(すみのえ)の (しき)()(うら)の なのりその 名は()りてしを 逢はなくも(あや)
3077 みさご()る 荒磯(ありそ)()ふる なのりその よし名は()らじ 親は知るとも
3078 波の(むた) (なび)(たま)()の (かた)(もひ)に 我が思ふ人の (こと)(しげ)けく
3079 わたつみの 沖つ(たま)()の (なび)き寝む (はや)()ませ君 待たば苦しも
3080 わたつみの 沖に()ひたる (なは)海苔(のり)の 名はかつて()らじ 恋ひは死ぬとも
3081 玉の()を (かた)()()りて 緒を弱み 乱るる時に 恋ひずあらめやも
3082 君に逢へず 久しくなりぬ 玉の()の 長き(いのち)の ()しけくもなし
3083 恋ふること まされる今は 玉の()の ()えて乱れて 死ぬべく思ほゆ
3084 海人(あま)娘子(をとめ) (かづ)()るといふ 忘れ貝 よにも忘れじ (いも)が姿は
3085 朝影に 我が身はなりぬ 玉かぎる ほのかに見えて ()にし子ゆゑに
3086 なかなかに 人とあらずは (くは)()にも ならましものを 玉の()ばかり
3087 (すげ)よし ()()川原(かはら)に 鳴く千鳥(ちどり) ()なし我が()() 我が恋ふらくは
3088 (こい)(ごろも) ()奈良(なら)の山に 鳴く鳥の 間なく時なし 我が恋ふらくは
3089 (とほ)つ人 (かり)()の池に 住む鳥の 立ちても()ても 君をしぞ思ふ
3090 (あし)()行く (かも)()(おと)の 音のみに 聞きつつもとな 恋ひわたるかも
3091 鴨すらも おのが妻どち あさりして (おく)るる(あひだ)に 恋ふといふものを
3092 (しら)真弓(まゆみ) ()()細江(ほそえ)の (すが)(とり)の 妹に恋ふれか ()()かねつる     故地 
3093 小竹(しの)(うへ)に ()()て鳴く鳥 目を安み 人妻(ひとづま)ゆゑに 我れ恋ひにけり
3094 物思ふと ()ねず起きたる 朝明(あさけ)には わびて鳴くなり 庭つ鳥さへ
3095 (あさ)(からす) 早くな鳴きそ 我が()()が 朝明(あさけ)の姿 見れば悲しも
3096 ()()()しに (むぎ)()(こま)の ()らゆれど なほし恋しく 思ひかねつも
3097 (ひの)(くま) (ひの)(くま)(がは)に 馬(とど)め 馬に水()へ 我れ(よそ)に見む
3098 おのれゆゑ ()らえて()れば 青馬の (おも)(たか)()()に 乗りて()べしや
右の一首は、平群文屋朝臣益人(へぐりふみやのあそみますひと)伝へて云はく、昔聞くならく、「紀皇女(きのひめみこ)(ひそ)かに高安王(たかやすのおほきみ)(とつ)ぎて(ころ)はえたりし時に、この歌を作らす」といふ。ただし、高安王は左降せらえ、伊予国守(いよのくにのかみ)()けらゆ。
3099 紫草(むらさき)を 草と()()く ()鹿(しか)の 野はことにして 心は(おや)
3100 思はぬを 思ふと言はば ()(とり)住む (うな)()(もり)の 神し知らさむ
   故地

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