萬葉集 巻第七
雑歌
天を詠む 1068 天の海に 雲の波立ち 月の舟 星の林に 漕ぎ隠るみゆ 右の一首は、柿本朝臣人麻呂が歌集に出づ。
月を詠む 1069 常はさね 思はぬものを この月の 過ぎ隠らまく 惜しき宵かも 1070 ますらをの 弓末振り起し 猟高の 野辺さへ清く 照る月夜かも 1071 山の端に いさよふ月を 出でむかと 待ちつつ居るに 夜ぞ更けにける 1072 明日の宵 照らむ月夜は 片寄りに 今夜に寄りて 夜長くあらなむ 1073 玉垂の 小簾の間通し ひとり居て 見る験なき 夕月夜かも 1074 春日山 おして照らせる この月は 妹が庭にも さやけかりけり 1075 海原の 道遠みかも 月読の 光少き 夜ぞ更けにつつ 1076 ももしきの 大宮人の 罷り出て 遊ぶ今夜の 月のさやけさ 1077 ぬばたまの 夜渡る月を 留めむに 西の山辺に 関もあらぬかも 1078 この月の ここに来れば 今とかも 妹が出で立ち 待ちつつあるらむ 1079 まそ鏡 照るべき月を 白栲の 雲か隠せる 天つ霧かも 1080 ひさかたの 天照る月は 神代にか 出で反るらむ 年は経につつ 1081 ぬばたまの 夜渡る月を おもしろみ 我が居る袖に 露ぞ置きにける 1082 水底の 玉さへさやに 見つべくも 照る月夜かも 夜の更けゆけば 1083 霜曇り すとにかあるらむ ひさかたの 夜渡る月の 見えなく思へば 1084 山の端に いさよふ月を いつとかも 我は待ち居らむ 夜は更けにつつ 1085 妹があたり 我は袖振らむ 木の間より 出で来る月に 雲なたなびき 1086 靫懸くる 伴の男広き 大伴に 国栄えむと 月は照るらし 雲を詠む 1087 穴師川 川波立ちぬ 巻向の 弓月が岳に 雲居立てるらし ☆故地 1088 あしひきの 山川の瀬の 鳴るなへに 弓月が岳に 雲立ちわたる 右の二首は、柿本朝臣人麻呂が歌集に出づ。 1089 大海に 島もあらなくに 海原の たゆたふ波に 立てる白雲 右の一首は、伊勢の従駕の作。 雨を詠む 1090 我妹子が 赤裳の裾の ひづちなむ 今日の小雨に 我れさへ濡れな 1091 通るべく 雨はな降りそ 我妹子が 形見の衣 我れ下に着り 山を詠む 1092 鳴る神の 音のみ聞きし 巻向の 檜原の山を 今日見つるかも ☆故地 1093 みもろの その山なみに 子らが手を 巻向山は 継ぎしよろしも ☆故地 1094 我が衣 色どり染めむ 味酒 三室の山は 黄葉しにけり ☆故地 右の三首は、柿本朝臣人麻呂が歌集に出づ。 1095 みもろつく 三輪山見れば こもりくの 泊瀬の檜原 思ほゆるかも 1096 いにしへの ことは知らぬを 我れ見ても 久しくなりぬ 天の香具山 ☆故地 1097 我が背子を こち巨勢山と 人は言へど 君も来まさず 山の名にあらし ☆故地 1098 紀伊道にこそ 妹山ありといへ 玉櫛笥 二上山も 妹こそありけれ ☆故地 ☆故地 岡を詠む 1099 片岡の この向つ峰に 椎蒔かば 今年の夏の 蔭にならむか 川を詠む 1100 巻向の 穴師の川ゆ 行く水の 絶ゆることなく またかへり見む 1101 ぬばたまの 夜さり来れば 巻向の 川音高しも あらしかも疾き ☆故地 右の二首は、柿本朝臣人麻呂が歌集に出づ。 1102 大君の 御笠の山の 帯にせる 細谷川の 音のさやけさ 1103 今しくは 見めやと思ひし み吉野の 大川淀を 今日見つるかも 1104 馬並めて み吉野川を 見まく欲り うち越え来てぞ 滝に遊びつる 1105 音に聞き 目にはいまだ見ぬ 吉野川 六田の淀を 今日見つるかも 1106 かはづ鳴く 清き川原を 今日見ては いつか越え来て 見つつしのはむ 1107 泊瀬川 白木綿花に 落ちたぎつ 瀬をさやけみと 見に来し我れを ☆故地 1108 泊瀬川 流るる水脈の 瀬を早み ゐで越す波の 音の清けく 1109 さ檜隈 檜隈川の 瀬を早み 君が手取らば 言依せむかも 1110 ゆ種蒔く あらきの小田を 求めむと 足結ひ出で濡れぬ この川の瀬に 1111 いにしへも かく聞きつつか しのひけむ この布留川の 清き瀬の音を 1112 はねかづら 今する妹を うら若み いざ率川の 音のさやけさ 1113 この小川 霧ぞ結べる たぎちたる 走井の上に 言挙げせねども 1114 我が紐を 妹が手もちて 結八川 またかへり見む 万代までに 1115 妹が紐 結八河内を いにしへの 淑人見きと ここに誰れ知る 露を詠む 1116 ぬばたまの 我が黒髪に 降りなづむ 天の露霜 取れば消につつ 花を詠む 1117 島廻すと 磯に見し花 風吹きて 波は寄すとも 採らずはやまじ 葉を詠む 1118 いにしへに ありけむ人も 我がごとか 三輪の檜原に かざし折りけむ ☆故地 1119 行く川の 過ぎにし人の 手折らねば うらぶれ立てり 三輪の檜原は 右の二首は、柿本朝臣人麻呂が歌集に出づ。
蘿を詠む 1120 み吉野の 青根が岳の 蘿席 誰れか織りけむ 経緯なしに 草を詠む 1121 妹らがり 我が通ひ道の 小竹すすき 我れし通はば 靡け小竹原 ☆花 鳥を詠む 1122 山の際に 渡るあきさの 行きて居む その川の瀬に 波立つなゆめ 1123 佐保川の 清き河原に 鳴く千鳥 かはづと二つ 忘れかねつも ☆故地 1124 佐保川に 騒ける千鳥 さ夜更けて 汝が声聞けば 寐ねかてなくに 故郷を思ふ 1125 清き瀬に 千鳥妻呼び 山の際に 霞立つらむ 神なびの里 1126 年月も いまだ経なくに 明日香川 瀬々ゆ渡しし 石橋もなし ☆故地 井を詠む 1127 落ちたぎつ 走井水の 清くあれば 置きては我れは 行きかてぬかも 1128 馬酔木なす 栄えし君が 堀りし井の 石井の水は 飲めど飽かぬかも ☆花 倭琴を詠む 1129 琴取れば 嘆き先立つ けだしくも 琴の下樋に 妻や隠れる 吉野にして作る 1130 神さぶる 岩根こごしき み吉野の 水分山を 見れば悲しも 1131 皆人の 恋ふるみ吉野 今日見れば うべも恋ひけり 山川清み 1132 夢のわだ 言にしありけり うつつにも 見て来るものを 思ひし思へば ☆故地 1133 すめろきの 神の宮人 ところづら いやとこしくに 我れかへり見む ☆花 1134 吉野川 巌と栢と 常磐なす 我れは通はむ 万代までに 山背にして作る ☆故地 1135 宇治川は 淀瀬なからし 網代人 舟呼ばふ声 をちこち聞こゆ 1136 宇治川に 生ふる菅藻を 川早み 採らず来にけり つとにせましを 1137 宇治人の 譬への網代 我れならば 今は寄らまし 木屑来ずとも 1138 宇治川を 舟渡せをと 呼べへども 聞こえずあらし 楫の音もせず 1139 ちはや人 宇治川波を 清みかも 旅行く人の 立ちかてにする 摂津にして作る 1140 しなが鳥 猪名野を来れば 有馬山 夕霧立ちぬ 宿りはなくて ☆故地 1141 武庫川の 水脈を早みか 赤駒の 足掻くたぎちに 濡れにけるかも ☆故地 1142 命をし 幸くよけむと 石走る 垂水の水を むすびて飲みつ 1143 さ夜更けて 堀江漕ぐなる 松浦舟 楫の音高し 水脈早みかも 1144 悔しくも 満ちぬる潮か 住吉の 岸の浦みゆ 行かましものを 1145 妹がため 貝を拾ふと 茅渟の海に 濡れにし袖は 干せど乾かず 1146 めづらしき 人を我家に 住吉の 岸の埴生を 見むよしもがも 1147 暇あらば 拾ひに行かむ 住吉の 岸に寄るといふ 恋忘れ貝 1148 馬並めて 今日我が見つる 住吉の 岸の埴生を 万代に見む 1149 住吉に 行くといふ道に 昨日見し 恋忘れ貝 言にしありけり 1150 住吉の 岸に家もが 沖に辺に 寄する白波 見つつしのはむ 1151 大伴の 御津の浜辺を うちさらし 寄せ来る波の ゆくへ知らずも 1152 楫の音ぞ ほのかにすなる 海人娘子 沖つ藻刈り 舟出すらしも 1153 住吉の 名児の浜辺に 馬立てて 玉拾ひしく 常忘らえず 1154 雨は降る 仮廬は作る いつの間に 吾児の潮干に 玉は拾はむ 1155 名児の海の 朝明のなごり 今日もかも 磯の浦みに 乱れてあるらむ 1156 住吉の 遠里小野の 真榛もち 摺れる衣の 盛り過ぎゆく 1157 時つ風 吹かまく知らず 吾児の海の 朝明の潮の 玉藻刈りてな 1158 住吉の 沖つ白波 風吹けば 来寄する浜を 見れば清しも 1159 住吉の 岸の松が根 うちさらし 寄せ来る波の 音のさやけさ 1160 難波潟 潮干に立ちて 見わたせば 淡路の島に 鶴渡るみゆ |