萬葉集 巻第十四
東歌
3348 夏麻引く 海上潟の 沖つ洲に 舟は留めむ さ夜更けにけり 右の一首は上総の国の歌。 3349 葛飾の 真間の浦みを 漕ぐ舟の 舟人騒く 波立つらしも 右の一首は下総の国の歌。 3350 筑波嶺の 新桑繭の 衣はあれど 君が御衣し あやに着欲しも ☆故地 ☆花 或本の歌には「たらちねの」といふ。また「あまた着欲しも」といふ。 3351 筑波嶺に 雪かも降らる いなをかも 愛しき子ろが 布乾さるかも 右の二首は常陸の国の歌。 3352 信濃なる 須賀の荒野に ほととぎす 鳴く声聞けば 時過ぎにけり ☆故地 右の一首は信濃の国の歌。 相聞 3353 麁玉の 伎倍の 林に 汝を立てて 行きかつましじ 寐を先立たね 3354 伎倍人の まだら衾に 綿さはだ 入りなましもの 妹が小床に 右の二首は遠江の国の歌。
3355 天の原 富士の柴山 この暗の 時ゆつりなば 逢はずかもあらむ 3356 富士の嶺の いや遠長き 山道をも 妹がりとへば けによばず来ぬ 3357 霞居る 富士の山びに 我が来なば いづち向きてか 妹が嘆かむ 3358 さ寝らくは 玉の緒ばかり 恋ふらくは 富士の高嶺の 鳴沢のごと 或本の歌に曰はく ま愛しみ 寝らく及けらく さ鳴らくは 伊豆の高嶺の 鳴沢なすよ 一本の歌に曰はく 逢へらくは 玉の緒しけや 恋ふらくは 富士の高嶺に 降る雪なすも 3359 駿河の海 磯辺に生ふる 浜つづら 汝を頼み 母は違ひぬ ☆花 右の五首は駿河の国の歌。
3360 伊豆の海に 立つ白波の ありつつも 継ぎなむものを 乱れしめめや 或本の歌には「白雲の 絶えつつも 継がむと思へや 乱れそめけむ」といふ。 右の一首は伊豆の国の歌。
3361 足柄の をてもこのもに さすわなの かなるましづみ 子ろ我れ紐解く ☆故地 3362 相模嶺の 小峰見退くし 忘れ来る 妹が名呼びて 我を音し泣くな 或本の歌に曰はく 武蔵嶺の 小峰見隠し 忘れ行く 君が名懸けて 我を音し泣くる 3363 我が背子を 大和へ遣りて 待つしだす 足柄山の 杉の木の間か 3364 足柄の 箱根の山に 粟蒔きて 実とはなれるを 粟無くもあやし 或本の歌の末句には「延ふ葛の 引かば寄り来ね 下なほなほに」といふ。 3365 鎌倉の 見越の崎の 岩崩えの 君が悔ゆべき 心は持たじ 3366 ま愛しみ さ寝に我は行く 鎌倉の 水無瀬川に 潮満つなむか 3367 百つ島 足柄小舟 歩き多み 目こそ離るらめ 心は思へど 3368 足柄の 土肥の河内に 出づる湯の よにもたよらに 子ろが言はなくに 3369 足柄の 麻万の小菅の 菅枕 あぜかまかさむ 子ろせ手枕 3370 足柄の 箱根の嶺ろの にこ草の 花つ妻なれや 紐解かず寝む 3371 足柄の み坂畏み 曇り夜の 我が下ばへを こちでつるかも 3372 相模道の 淘綾の浜の 真砂なす 子らは愛しく 思はるるかも ☆故地 右の十二首は相模の国の歌。
3373 多摩川に さらす手作り さらさらに なにぞこの子の ここだ愛しき ☆故地 3374 武蔵野に 占部肩焼き まさでにも 告らぬ君が名 占に出にけり 3375 武蔵野の をぐきが雉 立ち別れ いにし宵より 背ろに逢はなふよ 3376 恋しけば 袖も振らむを 武蔵野の うけらが花の 色に出なゆめ ☆花 或本の歌に曰はく いかにして 恋ひばか妹に 武蔵野の うけらが花の 色に出ずあらむ 3377 武蔵野の 草葉もろ向き かもかくも 君がまにまに 我は寄りにしを 3378 入間道の 於保屋が原の いはゐつら 引かばぬるぬる 我にな絶えそね 3379 我が背子を あどかも言はむ 武蔵野の うけらが花の 時なきものを 3380 埼玉の 津に居る舟の 風をいたみ 綱は絶ゆとも 言な絶えそね 3381 夏麻引く 宇奈比をさして 飛ぶ鳥の 至らむとぞよ 我が下延へし 右の九首は武蔵の国の歌。
3382 馬来田の 嶺ろの笹葉の 露霜の 濡れて我来なば 汝は恋ふばぞも ☆故地 ☆花 3383 馬来田の 嶺ろに隠り居 かくだにも 国の遠かば 汝が目欲りせむ 右の二首は上総の国の歌。
3384 葛飾の 真間の手児名を まことかも 我れに寄すよふ 真間の手児奈を ☆故地 3385 葛飾の 真間の手児名が ありしかば 真間のおすひに 波もとどろに 3386 にほ鳥の 葛飾早稲を にへすとも その愛しきに 外に立てめやも ☆花 3387 足の音せず 行かむ駒もが 葛飾の 真間の継橋 やまず通はむ ☆故地 右の四首は下総の国の歌。
3388 筑波嶺の 嶺ろに霞居 過ぎかてに 息づく君を 率寝て遣らさね ☆故地 3389 妹が門 いや遠そきぬ 筑波山 隠れぬほとに 袖は振りてな 3390 筑波嶺に かか鳴く鷲の 音のみをか 泣きわたりなむ 逢ふとはなしに 3391 筑波嶺に そがひに見ゆる 葦穂山 悪しかるとがも さね見えなくに 3392 筑波嶺の 岩もとどろに 落つる水 よにもたゆらに 我が思はまくに 3393 筑波嶺の をてもこのもに 守部据ゑ 母い守れども 魂ぞ合ひにける 3394 さ衣の 小筑波嶺ろの 山の崎 忘ら来ばこそ 汝を懸けなはめ 3395 小筑波の 嶺ろに月立し 間夜は さはだなりぬを また寝てむかも 3396 小筑波の 茂き木の間よ 立つ鳥の 目ゆか汝を見む さ寝ざらなくに 3397 常陸なる 浪逆の海の 玉藻こそ 引けば絶えすれ あどか絶えせむ 右の十首は常陸の国の歌。
3398 人皆の 言は絶ゆとも 埴科の 石井の手児が 言な絶えそね 3399 信濃道は 今の墾り道 刈りばねに 足踏ましむな 沓はけ我が背 ☆故地 ☆故地 3400 信濃なる 千曲の川の 細石も 君し踏みてば 玉と拾はむ ☆故地 3401 中麻奈に 浮き居る舟の 漕ぎ出なば 逢ふことかたし 今日にしあらずは 右の四首は信濃の国の歌。
3402 日の暮れに 碓氷の山を 越ゆる日は 背なのが袖も さやに振らしつ ☆故地 3403 我が恋は まさかも愛し 草枕 多胡の入野の 奥も愛しも 3404 上つ毛野 安蘇のま麻むら かき抱き 寝れど飽かぬを あどか我がせむ 3405 上つ毛野 乎度の多杼里が 川道にも 子らは逢はなも ひとりのみして 或本の歌に曰はく 上つ毛野 小野の田杼里が あはぢにも 背なは逢はなも 見る人なしに 3406 上つ毛野 佐野の茎立 折りはやし 我れは待たむゑ 来とし来ずとも 3407 上つ毛野 まぐはしまとに 朝日さし まきらはしもな ありつつ見れば 3408 新田山 嶺にはつかなな 我に寄そり はしなる子らし あやに愛しも 3409 伊香保ろに 天雲い継ぎ かぬまづく 人とおたはふ いざ寝しめ刀羅 3410 伊香保ろに 沿ひの榛原 ねもころに 奥をなかねそ まさかしよかば 3411 多胡の嶺に 寄せ綱延へて 寄すれども あにくやしづし その顔よきに 3412 上つ毛野 久路保の嶺ろの 葛葉がた 愛しけ子らに いや離り来も ☆花 3413 利根川の 川瀬も知らず 直渡り 波にあふのす 逢へる君かも 3414 伊香保ろの 夜左可のゐでに 立つ虹の 現はろまでも さ寝をさ寝てば 3415 上つ毛野 伊香保の沼に 植ゑ小水葱 かく恋ひむとや 種求めけむ 3416 上つ毛野 可保夜が沼の いはゐつら 引かばぬれつつ 我をな絶えそね 3417 上つ毛野 伊奈良の沼の 大藺草 外に見しよは 今こそまされ 柿本朝臣人麻呂が歌集に出づ 3418 上つ毛野 佐野田の苗の 群苗に 事は定めつ 今はいかにせも 3419 伊香保せよ 奈可中次下 思ひどろ くまこそしつと 忘れせなふも 3420 上つ毛野 佐野の舟橋 取り離し 親は放くれど 我は離るがへ 3421 伊香保嶺に 雷な鳴りそね 我が上には 故はなけども 子らによりてぞ 3422 伊香保風 吹く日吹かぬ日 ありと言へど 我が恋のみし 時なかりけり 3423 上つ毛野 伊香保の嶺ろに 降ろ雪の 行き過ぎかてぬ 妹が家のあたり 右の二十二首は上野の国の歌。
3424 下つ毛野 三毳の山の こ楢のす まぐはし子ろは 誰が笥か持たむ 3425 下つ毛野 安蘇の川原よ 石踏まず 空ゆと来ぬよ 汝が心告れ 右の二首は下野の国の歌。
3426 会津嶺の 国をさ遠み 逢はなはば 偲ひにせもと 紐結ばさね ☆故地 3427 筑紫なる にほふ子ゆゑに 陸奥の 可刀利娘子の 結ひし紐解く 3428 安達太良の 嶺に伏す鹿猪の ありつつも 我れは至らむ 寝処な去りそね ☆故地 右の三首は陸奥の国の歌。 譬喩歌 3429 遠江 引佐細江の 澪標 我れを頼めて あさましものを ☆故地 右の一首は遠江の国の歌。
3430 志太の浦を 朝漕ぐ舟は よしなしに 漕ぐらめかもよ よしこさるらめ 右の一首は駿河の国の歌。
3431 足柄の 安伎奈の山に 引こ舟の 後引かしもよ ここば子がたに ☆故地 3432 足柄の わを可鶏山の かづの木の 我を誘さねも 門さかずとも 3433 薪伐る 鎌倉山の 木垂る木を 松と汝が言はば 恋ひつつやあらむ 右の三首は相模の国の歌。
3434 上つ毛野 安蘇山つづら 野を広み 延ひにしものを あぜか絶えせむ ☆花 3435 伊香保ろの 沿ひの榛原 我が衣に 着きよらしもよ ひたへと思へば 3436 しらとほふ 小新田山の 守る山の うら枯れせなな 常葉にもがも 右の三首は上野の国の歌。 3437 陸奥の 安達太良真弓 はじき置きて 反らしめきなば 弦はかめかも ☆故地 ☆花 右の一首は陸奥の国の歌。 |