巻十一 2728〜2840

2728 淡海(あふみ)の海 (おき)つ島山 (おく)まへて ()()(いも)が (こと)の繁けく   故地
2729 (あられ)降り (とほ)大浦(おほうら)に 寄する波 よしも寄すとも (にく)くあらなくに   故地
2730 紀伊()の海の ()(たか)の浦に 寄する波 (おと)(だか)きかも 逢はぬ子ゆゑに   故地
2731 牛窓(うしまど)の 波の潮騒(しほさゐ) 島(とよ)み ()そりし君は 逢はずかもあらむ   故地
2732 沖つ波 ()(なみ)()()る ()()(うら)の このさだ過ぎて (のち)恋ひむかも
2733 白波の ()()する島の 荒磯(ありそ)にも あらましものを 恋ひつつあらずは
2734 潮満てば 水沫(みなわ)に浮かぶ 真砂(まなご)にも 我はなりてしか 恋ひは死なずて
2735 住吉(すみのえ)の 岸の(うら)みに しく波の しくしく(いも)を 見むよしもがも
2736 風をいたみ いたぶる波の (あひだ)なく 我が思ふ君は (あひ)思ふらむか
2737 大伴(おほとも)の ()()の白波 (あひだ)なく 我が恋ふらくを 人の知らなく
2738 (おほ)(ふね)の たゆたふ海に いかり(おろ)ろし いかにせばかも 我が恋やまむ
2739 みさご()る 沖つ荒磯(ありそ)に 寄する波 ゆくへも知らず 我が恋ふらくは
2740 (おほ)(ふね)の (とも)にも()にも 寄する波 寄すとも我れは 君がまにまに
2741 (おほ)(うみ)に 立つらむ波は (あひだ)あらむ 君に恋ふらく やむ時もなし
2742 志賀(しか)のの海人(あま)の (けぶり)焼き立てて 焼く塩の (から)き恋をも 我れはするかも

右の一首は、或いは「石川君子朝臣(いしかはのきみこのあそみ)作る」といふ。

2743 なかなかに 君に恋ひずは 比良(ひら)(うら)の 海人(あま)ならましを (たま)()刈りつつ

或本の歌に()はく なかなかに 君に恋ひずは 留牛馬(なは)(うら)の 海人(あま)にあらましを (たま)()刈る刈る

2744 (すずき)取る 海人(あま)燈火(ともしび) (よそ)にだに 見ぬ人ゆゑに ()ふるこのころ
2745 (みなと)入りの (あし)()小舟(をぶね) (さは)り多み 我が思ふ君に 逢はぬころかも   
2746 庭清み 沖へ()()づる 海人(あま)舟の (かぢ)取る()なき 恋をするかも
2747 あぢかまの (しほ)()をさして ()ぐ舟の 名は()りてしを 逢はざらめやも   故地
2748 大船(おほぶね)に (あし)()刈り積み しみみにも (いも)は心に 乗りにけるかも
2749 駅路(はゆまぢ)に 引き舟渡し (ただ)乗りに (いも)は心に 乗りにけるかも
2750 我妹子(わぎもこ)に 逢はず久しも うましもの 阿倍(あへ)(たちばな)の (こけ)()すまでに
2751 あぢの住む ()()入江(いりえ)の 荒磯(ありそ)(まつ) 我を待つ子らは ただひとりのみ
2752 我妹子(わぎもこ)を 聞き()()野辺(のへ)の しなひ合歓木(ねぶ) 我れは忍びえず ()なくし思へば   
2753 波の()ゆ 見ゆる小島(こしま)の (はま)(ひさ)() 久しくなりぬ 君に逢はずして   
2754 (あさ)(かしは) (うる)()(かは)()の 小竹(しの)の芽の (しの)ひて()ば (いめ)に見えけり
2755 (あさ)()(はら) ()(しめ)さして (むな)(こと)も ()そりし君が (こと)をし待たむ   
2756 (つき)(くさ)の ()れる(いのち)に ある人を いかに知りてか (のち)も逢はむと言ふ   
2757 大君の ()(かさ)()へる 有馬(ありま)(すげ) ありつつ見れど 事なき我妹(わぎも)
2758 (すが)の根の ねもころ(いも)に 恋ふるにし ますらを心 思ほえぬかも
2759 我がやどの ()(たで)(ふる)(から) ()(おほ)し ()になるまでに 君をし待たむ
2760 あしひきの (やま)(さは)ゑぐを ()みに行かむ 日だにも逢はせ 母は()むとも   
2761 奥山の (いは)(もと)(すげ)の 根深くも 思ほゆるかも 我が思ひ(づま)
2762 (あし)(かき)の 中のにこ(ぐさ) にこよかに 我れと()まして 人に知らゆな
2763 (くれない)の (あさ)()の野らに ()(かや)の (つか)(あひだ)も 我れを忘らすな   故地
2764 (いも)がため (いのち)残せり ()(こも)の 思ひ乱れて 死ぬべきものを
2765 我妹子(わぎもこ)に 恋ひつつあらずは ()(こも)の 思ひ乱れて 死ぬべきものを
2766 三島(みしま)()の 入江の(こも)を かりにこそ 我れをば君は 思ひたりけれ
2767 あしひきの 山橘(やまたちばな)の 色に出でて 我は恋ひなむを 人目(かた)みすな   
2768 (あし)(たづ)の (さわ)く入江の (しろ)(すげ)の 知らせむためと (こと)()かるかも
2769 我が()()に 我が恋ふらくは 夏草の ()()くれども ()ひしくごとし
2770 道の()の いつ(しば)(はら)の いつもいつも 人の許さむ (こと)をし待たむ
2771 我妹子(わぎもこ)が (そで)を頼みて 真野(まの)(うら)の 小菅(こすげ)の笠を 着ずて来にけり
2772 真野(まの)の池の 小菅(こすげ)を笠に ()はずして 人の(とほ)()を 立つべきものか
2773 さす竹の ()(ごも)りてあれ 我が()()が 我がりし()ずは 我れ恋ひめやも
2774 (かむ)なびの (あさ)小竹(しの)(はら)の うるはしみ 我が思ふ君が 声のしるけく
2775 山高み (たに)()()へる (たま)(かづら) 絶ゆる時なく 見むよしもがも
2776 道の()の 草を冬野に 踏み枯らし 我れ立ち待つと (いも)に告げこそ
2777 (こも) (へだ)()(かず) (かよ)はさば 道の(しば)(くさ) ()ひずあらましを   
2778 (みな)(そこ)に ()ふる(たま)()の ()ひ出でず よしこのころは かくて通はむ
2779 海原(うなはら)の 沖つ(なは)海苔(のり) うち(なび)き 心もしのに 思ほゆるかも
2780 (むらさき)の ()(たか)の浦の (なび)()の 心は(いも)に 寄りにしものを   故地
2781 (わた)の底 (おき)を深めて ()ふる()の もとも今こそ 恋はすべなき
2782 ()がには ()れとも()めど 沖つ()の (なび)きし君が (こと)待つ我れを
2783 我妹子(わぎもこ)が 何とも我れを 思ほねば ふふめる花の ()に咲きぬべし
2784 (こも)りには 恋ひて死ぬとも み(その)()の (から)(あゐ)の花の 色に()でめやも   
2785 咲く(はな)は 過ぐる時あれど 我が恋ふる 心のうちは やむ時もなし
2786 山吹(やまぶき)の にほえる(いも)が はねず色の (あか)()の姿 (いめ)に見えつつ    
2787 天地(あめつち)の 寄り合ひの(きは)み (たま)()の ()えじと思ふ (いも)があたり見つ
2788 (いき)()に 思へば苦し (たま)()の 絶えて乱れな 知らば知るとも
2789 (たま)()の 絶えたる恋の 乱れなば 死なまくのみぞ またも逢はずして
2790 (たま)()の くくり寄せつつ 末つひに 行きは別れず 同じ()にあらむ
2791 片糸もち ()きたる玉の ()を弱み 乱れやしなむ 人の知るべく
2792 (たま)()の (うつ)し心や 年月の 行きかはるまで (いも)に逢はずあらむ
2793 (たま)()の 間も置かず 見まく()り 我が思ふ(いも)は (いへ)(とほ)くありて
2794 (こも)りづの 沢たつみにある 岩根(いはね)ゆも 通してぞ思ふ 君に逢はまくは
2795 紀伊()の国の (あく)()の浜の 忘れ貝 我れは忘れじ 年は()ぬとも   故地
2796 (みづ)くくる 玉に(まじ)れる 磯貝(いそかひ)の 片恋のみに 年は()につつ
2797 住吉(すみのえ)の 浜に寄るといふ うつせ貝 ()なき(こと)もち 我れ恋ひめやも
2798 伊勢(いせ)海女(あま)の (あさ)(ゆふ)なに (かづ)くといふ (あはび)の貝の 片思(かたもひ)にして
2799 (ひと)(ごと)を 繁みと君は (うづら)鳴く 人の古家(ふるへ)に 語らひて()りつ
2800 (あかとき)と (かけ)は鳴くなり よしゑやし ひとり()()は ()けば明けぬとも
2801 (おほ)(うみ)の 荒磯(ありそ)()(どり) (あさ)()な 見まく()しきを 見えぬ君かも
2802 思へども 思ひもかねつ あしひきの 山鳥(やまどり)の尾の 長きこの夜を

或本の歌に()はく あしひきの 山鳥(やまどり)の尾の しだり尾の 長々(ながなが)()を ひとりかも寝む

2803 (さと)(なか)に 鳴くなる(かけ)の 呼び立てて いたくは泣かぬ (こも)(づま)はも
2804 高山に たかべき渡り 高々(たかたか)に 我が待つ君を 待ち()でむかも
2805 伊勢(いせ)の海ゆ 鳴き()(たづ)の (おと)どろも 君が聞こさば 我れ恋ひめやも
2806 我妹子(わぎもこ)に 恋ふれにかあらむ 沖に住む (かも)(うき)()の 安けくもなき
2807 明けぬべく 千鳥(ちとり)しば鳴く (しろ)(たへ)の 君が()(まくら) いまだ()かなくに

問答(もんだう)

2808 (まよ)()()き (はな)(ひも)()け 待てりやも いつかも見むと (こい)()し我れを

右は、上に柿本朝臣人麻呂が歌の中に見ゆ。ただし、問答(もんだう)なるをもちてのゆゑに、ここに(かさ)()す。

2809 今日(けふ)なれば 鼻の鼻ひし (まよ)かゆみ 思ひしことは 君にしありけり

右の二首

2810 音のみを 聞きてや恋ひむ まそ鏡 (ただ)()に逢ひて 恋ひまくもいたく
2811 この(こと)を 聞かむとならし まそ鏡 照れる(つく)()も (やみ)のみに見つ

右の二首

2812 我妹子(わぎもこ)に 恋ひてすべなみ (しろ)(たへ)の (そで)(かへ)ししは (いめ)に見えきや
2813 我が()()が (そで)返す()の (いめ)ならし まことも君に 逢ひたるごとし

右の二首

2814 我が恋は 慰めかねつ ま()長く (いめ)に見えずて 年の()ぬれば
2815 ()長く (いめ)にも見えず 絶えぬとも 我が(かた)(こひ)は やむ時もあらじ

右の二首

2816 うらぶれて 物な思ひそ (あま)(くも)の たゆたふ心 我が思はなくに
2817 うらぶれて 物は思はじ ()()()(がは) ありても水は 行くといふものを

右の二首

2818 かきつはた ()()()(すげ)を (かさ)()ひ 着む日を待つに 年ぞ()にける   故地 

()()()()()()()2819 おしてる 難波(なには)(すが)(かさ) 置き(ふる)し (のち)()が着む 笠ならなくに

右の二首

2820 かくだにも (いも)を待ちなむ さ()()けて ()()し月の かたぶくまでに
2821 ()の間より 移ろふ月の 影を()しみ 立ち(もとほ)るに さ夜更(よふ)けにけり

右の二首

2822 (たく)()()の 白浜(しらはま)(なみ)の 寄りもあへず 荒ぶる妹に 恋ひつつぞ()
2823 かへらまに 君こそ我れに (たく)()()の 白浜波の 寄る時もなき

右の二首

2824 思ふ人 ()むと知りせば 八重(やへ)(むぐら) (おほ)へる庭に 玉敷かましを
2825 玉敷ける 家も何せむ 八重(やへ)(むぐら) (おほ)へる小屋(をや)も (いも)()りてば

右の二首

2826 かくしつつ あり慰めて (たま)()の 絶えて別れば すべなかるべし
2827 ()の 花にしあらば (ころもで)手に 染め付け持ちて 行くべく思ほゆ   

右の二首

譬喩(ひゆ)

2828 (くれなゐ)の (ふか)()めの(きぬ)を (した)に着ば 人の見らくに にほひ()でむかも
2829 (ころも)しも 多くあらなむ 取り()へて 着ればや君が (おも)忘れてある

右の二首は、(きぬ)に寄せて思ひを(たと)ふ。

2830 (あづさ)(ゆみ) ()(づか)巻き()へ 中見さし さらに引くとも 君がまにまに

右の一首は、弓に寄せて思ひを(たと)ふ。

2831 みさご()る ()()る舟の 夕潮を 待つらむよりは 我れこそまされ

右の一首は、舟に寄せて思ひを(たと)ふ。

2832 山川に (うへ)を伏せて ()りもあへず 年の()(とせ)を 我がぬすまひし

右の一首は、(うを)に寄せて思ひを(たと)ふ。

2833 (あし)(がも)の すだく池水 (はふ)るとも (まけ)(みぞ)()に 我れ越えめやも
右の一首は、水に寄せて思ひを(たと)ふ。

2834 大和(やまと)の 室生(むろふ)()(もも) (もと)(しげ)く 言ひてしものを ならずはやまじ   
右の一首は、(このみ)に寄せて思ひを(たと)ふ。

2835 (くず)()ふ 小野(をの)(あさ)()を 心ゆも 人引かめやも 我がなけなくに    
2836 三島(みしま)(すげ) いまだ(なへ)にあり 時待たば 着ずやなりなむ 三島(すが)(かさ)
2837 吉野(よしの)の ()(ぐま)(すげ)を ()まなくに 刈りのみ刈りて 乱りてむとや
2838 川上に 洗ふ若菜の 流れ来て (いも)があたりの 瀬にこそ寄らめ

右の四首は、草に寄せて思ひを(たと)ふ。

2839 かくしてや なほやまもらむ (おほ)(あら)()の (うき)()(もり)の (しめ)にあらなくに   故地
右の一首は、標に寄せて思ひを(たと)ふ。

2840 いくばくも 降らぬ雨ゆゑ 我が()()が ()()のここだく 滝もとどろに
右の一首は、滝に寄せて思ひを(たと)ふ。

←前頁へ   次頁へ→

「万葉集 総覧」へ戻る

「万葉集を携えて」へ戻る

inserted by FC2 system